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松愛会山歩き会 | |
和田寺山 標高591m 和田寺口〜和田寺〜和田寺山 こんだ薬師温泉 |
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松愛会山歩き会主催、今年3回目の例会で和田寺山(わでんじやま)からこんだ薬師温泉に行った。和田寺山は殆ど知られていない山だが、地図からこんだ薬師温泉の裏山になっているので、一山越えれば温泉に入れると思い計画した。 JR古市駅で下車、駅前にバス乗場がないので国道を目指し細い階段を上がる。神姫バスに乗り10分ほどで和田寺口に到着。ここから山方向に歩くと和田寺(わでんじ)の山門に着く。山門の左手は大きな霊園になっている。寺仏堂が左手にあったが通過、地蔵板碑が目につく。この地蔵板碑は頭痛地蔵(あたまいたじぞう)と呼ばれ県指定の重要文化財になっている。説明板によると、1355年作で頭痛や悩みを治してもらえるお地蔵さんとして親しまれているそうだ。和田寺の前身、東光寺時代のものだそうだ。途中に句碑「本堂はまだまだ遠し蝉しぐれ」があったが山門から本堂まで結構歌の通り遠い。本堂に到着、最近立て替えられたのか真新しい本堂だ。ご本尊は千手観世音菩薩で参道にも幟が立っている。本堂の説明板によると、和田寺は今から登る山の山頂にあって東光寺といったそうだ。1184年源義経の軍勢三草山の平家を追討した際、焼失したとされている。その後、和田谷のこの地に移され和田寺となったと説明されていた。 いよいよ和田寺山に登り始める。本堂の左側から踏み跡と青いテープを頼りに登り始める。あまり踏まれていなく倒木がいたるところにある。倒木と蜘蛛の巣に戦いながらかなりの急登が続く。大きな岩が所々に現れこの辺りから沢を登る。沢は急登で人汗かいた。やがて尾根道に出る。ここから。比較的手入れされたような道だ。沢を2度越えると木津立杭分岐に着く。右手に少し上がると和田寺山山頂に到着。雑木林で展望は全く望めない。標高は591mで三角点はない。山頂には「1999.10.31 今田っ子親子共汗活動 ・・・和田寺山山頂に立つ154名」の札があった。ここで昼食にししばらくくつろいだ。和田寺の説明板ではこの辺りに和田寺の前身東光寺があったということだが遺稿は見当たらないようだ。 この山を何気なく登ることに決めたが地図をよく見ると篠山市今田町に「寺」のつく山が三座ある。この和田寺山と黒石川をはさんで西に西光寺山そして真北国道を挟んで西寺山がある。西光寺に対してこの和田寺の元東光寺とどんな関係があるのだろうか西寺とはどんなお寺か興味が湧く。お腹もいっぱいになり温泉へと下山にかかる。山頂から先に行く道が少し気がかりだったが往路を戻る。朝通過した分岐まで戻りここから尾根筋に沿って下る。しばらく下るがこんだ温泉は北西方向だが取っ付きが見つからない。さらに下るがますます北西方向とは逆の北東方向に下っている。このまま下ると和田寺の辺りの尾根に出るようだ。木が伐採されその先に今田小学校が正面に見えるところに来た。記念の小学校の記念札が下がっていた。小学生がここを通って山頂まで登ったのだろう。小学校が正面で前の国道が平行に見えることから和田寺に沿った尾根を下っていること間違いない。小学生が登ってきた道があるはずだ。分岐になり直進は小ピークへ左は下り道なので左をとった。車の音も近づきもうすぐ山から出られそうになったところで道がなくなった。雑木を掻き分け下ると林道に出た。この林道はバブルの頃の別荘地の道のようだ。抜け出たところが勘平橋近くの道に出た。ここから30分ほど歩いてこんだ温泉に向かった。山頂で気になった道の途中からこんだ温泉へ下る道がありそうだ。尾根道を取り違えたようで北西に下る道はなく、北東に90度違った道を下ったことになった。 こんだ温泉から西寺山がきれいに見えていた。温泉にゆっくりつかり疲れを癒した。里山は登山標識がなく枝道が多いのでしっかり地図が読めることが肝要だが、時には全員地図と磁石をもって低山に挑戦するのもいいのではないだろうか。何はともあれお疲れ様でした。 |
和田寺の案内 近畿自然歩道 |
虚空蔵山 和田寺口より |
和田寺山 和田寺口より |
頭痛地蔵 県指定重要文化財 |
和田寺本堂 |
和田寺本堂 |
和田寺山 山頂 |
尾根筋から今田小学校が見える 小学校の登山記念札がある |
和田寺山 下小野原より |
西寺山 今田より |
こんだ薬師温泉ぬくもりの湯 温泉タンク |
こんだ薬師温泉 |
こんだ薬師温泉 |
こんだ薬師温泉足湯と西寺山 |