健康さんインタビュー (聞き手:笠井 洋、鶴若 計子)
今回は調布市にお住いの山中勝照さん(81歳)にお話を伺いました。事前にいただいた資料を基に、海外での活動や音楽活動などについて、いろいろ興味深いお話を伺うことができました。
・いろいろな国に出掛けて、普通の旅行ではできない体験をされてきていますが、やってみようと思ったきっかけはどういうことだったのでしょうか。
アメリカで勤務した経験があり、海外トレーニーとしても活動していたので、米国と欧州の違いに興味がありました。また、現役時代から山楽隊の仲間と登山を楽しみ、狭い山道の運転技術も習得して、海外の山歩きにもあこがれていました。
山楽隊は1992年10月に松下通信の内海さんを隊長として発足された登山愛好グループで、私はコロナ後は参加していませんが、今でも活動は続いています。退職してからは、それまでできなかった人生を送りたいと思い「やりたいことはすぐにやる」をモットーにスキルを身に付けることを目指しました。
・退職後に最初に向かったのはニュージーランドでしたね。
2005年3月に初めてニュージーランドの牧場でホームステイをして、現役時代からあこがれていた世界遺産で有名なトレッキング縦走コース「ミルフォードトラック」に参加しました。ガイドがついて一週間かかるコースを山小屋に泊まりながらトレッキングしました。日本と違って山小屋の料理がとても美味しくて驚きました。
・次はイタリアですね。言葉の壁もあったでしょうね。
イタリアのドロミテ山岳地帯の山歩きを目指して、2004年から日本の日伊協会でイタリア語の勉強を始めました。国内での2年間の準備の後に2006年4月からイタリアに行き、トスカーナ地方のシエナとモンテプルチャーノの語学学校にホームステイをしながら通いました。
ホームステイ先の良し悪しは「運次第」ですが、この時のホームステイ先は料理がおいしく、会話の指導もしてくれたので運が良かったと思います。毎晩ホームステイ先の親父さんとワインを楽しみました。イタリア人と知り合い、人種の違いについて「目から鱗」の体験を色々しました。ドロミテの山岳地帯の情報は語学学校の先生や生徒の協力を得て事前準備ができました。そのお陰で登山中にも友達や第二次大戦の元兵士から登山道について教えてもらえました。イタリアアルプスやドロミテ山岳地方の山々を旅した後はレンタカーと汽車を使った一人旅でイタリアを一周しました。
・次はフランスで「美しい村」を訪ねましたね。
2009年から御茶ノ水のアテネ・フランセのフランス語講座に通いました。フランスとイタリアは欧州の2大文化で、言葉や文化、普通の人々の暮らしがアメリカとどう違うのか知りたかったこともあり、フランス全土で150カ所が選ばれている「フランスで最も美しい村」を訪れて、どのような基準で選ばれているかを知りたくなりました。
2010年にパリとシャモニー近郊のアヌシーの2カ所でホームステイをしながら語学学校に通いました。この時は日本での準備期間が1年しかありませんでしたが発音を徹底的に指導してもらいました。日本で基礎の勉強をしておくことで、現地での学習は早く進みました。2か月のホームステイ後には1か月間で南仏地方の「美しい村」を回りました。レンタカーでの移動距離は約5,000kmでホテルを転々としましたが、ナビが十分に機能せず探すのが大変でした。
・最後のホームステイ先はタイでした。
息子がシンガポールで勤務したことをきっかけにタイ語の勉強を始め、日本と現地の語学学校で学びました。言葉で最も苦労したのはタイ語でした。ホームステイを通じて、中国を逃れて東南アジアに来た華僑の結束の強さと急成長するビジネスの凄さを実感しました。メコンデルタ地帯まではバスと運転手付きレンタカーで出掛けました。
帰国後にタイ語の先生を通じてタイの公共テレビ局PBSの取材を受け、30分のドキュメント番組で人気の「見る、知る」で「老いてもやりたいことを実践する日本人」としてタイ全国で放送されました。この番組はYouTubeで公開されています。以下からご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=lSU3DfUA6Is&authuser=0
・音楽活動を始めたきっかけはどんなことだったのですか。
退職後に居を構えた調布市で国際交流協会のボランティアをやっていた時に知り合った方に誘われてハワイアンバンド「アロハ・オタッシャーズ」に参加しました。バンド名は80歳過ぎても元気に「お達者で」続けようと命名されたものでした。昨年末には20周年記念ライブを赤坂のライブハウスで行うことができました。名称はハワイアンバンドですが、スチールギターとウクレレ以外にもフルートやブルースハーモニカも入ったユニークな編成で、アメリカのカントリーや日本の歌謡曲やポップス、ラテンの曲も演奏するバンドです。私はギターとブルースハーモニカを担当しながら、カントリー曲のボーカルも担当しています。
・具体的にはどのような活動をされているのですか。
黒姫高原にあるワイナリー会社が持つ、結婚式のチャペルもある大きな芝生の会場で演奏しました。グアムのリゾートホテルでも宿泊客のために演奏しました。東日本大震災の際には新宿プリンスホテルでチャリティコンサートを実施して寄付金を集め、100万円と慰問品を届け、宮城県の閖上地区の仮設住宅の集会所で現地のフラチームとアロハ・オタッシャーズの合同演奏を楽しんでいただきました。
2007年からは、ハーモニカの伝道師の先生に10穴のブルースハーモニカを習い、ギターを弾きながら、ハーモニカを同時に吹き、色々な曲を歌うようにもなりました。2008年から始めたNHK学園や西新宿のカルチャープラザのカントリー教室で学んだカントリー曲も歌うようになりました。
旅とは関係ありませんが、2021年の東京オリンピックにボランティアとして応募し、自転車競技のVIP対応として、若いボランティアと一緒に働きました。前回の1964年の東京オリンピックでは大学生の時に公式通訳として自転車競技担当になり、競技の場内アナウンスや各国選手の支援を担当しましたので、不思議なご縁を感じます。初めて会った海外の選手やサポートの人々との交流や喜び、その時の高揚感は規模の違いがあっても、今でも忘れることがありません。私が世界と係る原点になったように思います。
・長期間の海外滞在など、奥様はどう思っていたのでしょうか。
家内はホームステイを嫌がりました。また、1年から2年も学校に通い努力しているのを見ていて私の希望を理解してくれました。介護をしている期間もあり、私が不在の方が自由に動けることもありました。ホテル宿泊の旅行には一緒に出掛けています。
・健康についてはどう考えていますか。
退職後は週に2~3回ジムに通っています。また、食事が大事だと思っています。家内が気を使ってくれているので感謝しています。私も17時30分には帰宅して一緒に夕食を作るようにしています。買い物も私がやり、自然食品を使うなど心がけています。
2013年に脊柱管狭窄症になり、まともに歩けなくなってしまいましたが、自力で回復させました。歪みを矯正するために、歪みを戻す運動を自分で考えて毎日行い、10ヶ月で山に登れるまでに回復しました。
・これからはどのようなことに取り組みたいですか。
2年前にコロナに罹り、ホテルの部屋に1週間隔離され、誰とも会えず、無言で過ごす中で考えたことがありました。本を読むのも良いが、小さなハーモニカが1つあれば、そして吹ければ、楽しみや喜びが増え明るくなるなと実感しました。これからの「老化人生」の中でも、小さな楽しみや喜びの種を見つけて増やし、人生を少しでも豊かに、そして朗らかに過ごす「朗化人生」を目指して行こうと思います。その種を見つける能力を身につけたいと思っています。
・長い時間、いろいろとありがとうございました。
【訪問後記】
生涯現役ですね!退職後、仕事の経験を生かして新しいことにチャレンジ、異文化の人々と付き合って、目からウロコの体験をされてきたのですね。「人生100年」時代にふさわしい生き方をお聞きし、勇気が出ました。[鶴若計子]
英語ですらままならない私にとって、何か国語もマスターして海外で暮らす山中さんには驚きの連続でした。音楽演奏などもアクティブに続けておられ、充実した毎日を過ごす前向きな姿勢は、これからの人生のお手本になります。[笠井 洋]
この記事へのコメントはありません。