2022年11月26日(土)、ホテル ニューイタヤにて「友愛懇親会」を開催しました。コロナ禍で3年ぶりの開催となりました。今回は80歳以上会員108名を対象に参加案内を往復はがきでお送りし返信はがきで参加の有無を確認する方法で行ないました。一部返信はがきが投函されない方も居りましたが、電話にて確認を行ない29名の方に参加して頂きました。 懇親会は飲食をしながらお一人ずつ近況報告を頂きました。大変盛り上がり、3年ぶりの開催を大変喜んで頂いた次第です。ここまでは,HPで友愛懇親会の報告をさせて頂きました。
その後、上記写真の電子工業出身の「遠藤さん」から11月29日にFAXが入っておりました。しかし、私の自宅の留守電に入っておりましたが気づくのが遅れ12月9日に確認した次第です。そこで、文面を読んでますと、友愛懇親会に参加した「感激と御礼」を文章にしたためた内容でした。私もこの手紙は会員の皆さんに是非とも紹介したいと思い、遠藤さんに電話で話して文章掲載を了解頂きました。改めて文章をで紹介させて頂きます。皆さんの感想をお寄せください。
入社の思い出(祝い80歳パーテイに感謝) 電子工業 遠藤 宏充 (写真原文のまま掲載します)
私は24歳で電子工業に入社しました。動機は妹が隣のTV工場に入社が決まってから,会社より「私の生き方、考え方」という松下幸之助会長の著書が送られてきました。私は妹より先に拝読し驚きました。今自分が勤めている会社と仕事の考え方、進め方など、大変な違いがあることに気付きました。「だから週休二日制」が出来るのだ,仕事の効率を上げるとは皆が考え方を共有することが大切な事である、と知りました。当時松下電器が翌年より「週休二日制」実施が話題になっていました。凄い会社に妹が入れることを家族共々喜んでいる頃、隣に電子工業も社員募集を始めました。歳もかなり高いし「合格はかなり難しいだろうな」でも受験してみよう、と挑戦し見事合格したではないか、、、後で合格した理由を尋ねた所「大阪に1年間寮生活と作業実習」がありそのリーダーを託されての採用と知り頑張って,半年も早く帰ることができ、準備に着きました。工場稼働当初は設備や工程条件が大阪と違い期待する品質が取れなく転勤してきた上司、幹部は相当苦労していました。一作業者の自分は定時になると帰宅し今は亡き上司より,残業を命じられました。さぁ困った、バスの最終時刻が5時30分「出来ません」「何とかせいや」ひと山も二山も越えた、ひなびた田舎。結婚資金で溜めていた貯金を頭金に3年月賦で新車を購入。さっそうと妹を乗せて通勤、田舎では羨望の的になった次第、困ったのは母、貧乏暮らしの百姓が新車でネクタイを締めて通勤、話題になってしまいました。その後の募集で田舎の青年がどんどん入社してきた次第です。農家の青年は働き者です。幸い流れ作業も高収入で我慢、田舎の暮しを松下電器の進出で地域を変えてくれた、と自負しています。あれから56年、先日傘寿のお祝いを戴き,感謝、感謝ありがとう御座いました。
〆切り明日、パーテイの感謝と御礼を込めて急きょ書き上げました。取り留めの無い思い出話と役員の皆様の努力をなんとか文章にして会員諸兄にお伝えできれば,と考えた次第です。内容は非常に突飛です、是非推敲していただき掲載されれば幸いです。
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