支部長メッセージ ”年度と奥の手” 2025.3.1

パナソニック松愛会 栃木支部会員の皆様
日頃は松愛活動にご理解ご協力を賜りありがとうございます。

 1月、2月はあっという間に過ぎ去り、早くも3月になりました。年度末でいろいろと忙しい時期ですが松愛会栃木支部の皆様にはご健勝にお過ごしのことと思います。3月は年度末、期末ということですが、なぜ3月が年度末なのでしょうか?
 日本において4月から3月を「年度」としている理由は、歴史的背景、気候や農業の影響、そして行政や教育制度の慣習が関係しているようです。
 面白いのは、明治時代、政府の財政状況で「奥の手」を使ったと言うことです。年度の考え方の変遷は以下のとおりです。
1)7世紀末頃から旧暦の「1月から12月」が自然に年度という概念になったようです。
2)
明治2年9月に、旧暦の「10月から翌年9月まで」に変更。
3)
明治6年1月から旧暦を新暦に切り替えるのに合わせて新暦の「1月から12月」。
4)
明治8年7月から「7月から翌年6月」。
5)明治19年4月から「4月から翌年3月」。
6)
明治22年には、「4月から翌年3月」が法制化されました。
  このうち、2)は新米の収穫時期に合わせての変更。
3)は旧暦から新暦に切り替えるという理由ですが、実はまさに国の財政状況のためということでした。
明治6年は旧暦だと「閏月」(今のうるう年と同じようにズレを解消するため1年を13か月にする年があり、その場合挿入される月のこと)が必要で、そうすると公務員の給料を1か月分多く支払わなくてはならないのです!そこで明治政府は「奥の手」として、新暦に切り替えて明治6年を12ヶ月にしたとのことです。
4)は、地租改正法に合わせての変更。(地租の第1期納期が8月)
5)も、またまた「奥の手」を使っています。当時軍事費不足解消のため明治18年の酒造税を前借りして明治17年の会計に繰り入れたため、明治19年を酒造税の第1期(4月)からの年度に変更して、年度初めに税収が入るよう帳尻を合わせたのです。このため明治18「年度」は終わりが6月から3月になったため、3か月短くなったとのことです。
 このように財政不足対策として年度を変えるという発想とその実現は、今ではちょっと考えられないことかなと思います。

 今後は松愛会も財政的に厳しくなっていきます。何か「奥の手」があればよいのですが・・・。

 2月の支部長メッセージで掲載した写真の所在地は、伊豆の「堂ヶ島」でした。今月の写真は、遠くに筑波山を望む「○○山公園」さあ、どこでしょう? コメント欄で回答をお寄せください。 ヒント:宇都宮市ではありません。

パナソニック松愛会栃木支部
支部長 北垣和紀

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コメント

    • 北川 孝司
    • 2025年 3月 04日

    太平山公園でしょうか?今週のメシドラで見た気がします。

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    • 北垣 和紀
    • 2025年 3月 04日

    北川さん、コメントありがとうございます。大平山公園・・・残念。 それらしく見えますけど・・。2枚目の写真の石碑に書いてある文言もヒントです。

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