第200回 漫友会 過去と未来、高輪周辺散策

 

実施日 11月 6日(木)10:00~15:30
集 合 JR高輪ゲートウエイ駅2F中央改札口 10:00
参加者
(敬称略)
山下晃生(牛久)、小石川 功(筑西)、戸谷輝夫(取手)、吉野 博(水戸)、
中嶋 繁(野田)、小森孝敏(竜ヶ崎)、大島耕而(千葉市)、森本敬次(柏)、
古澤誠一郎(江東区)、吉田義英(水戸)他 湘南地区 寄り友会10名
行  程 駅→泉岳寺→伊皿子坂→二本榎通り→大石義雄他忠烈の跡→高輪消防署→桂坂→
高野山東京別院(昼食・法話)→洞坂→東禅寺→高輪海岸石垣→高輪神社→
高輪ゲートウエイ駅 (全行程6km)
内 容 JR山の手線49年ぶりの新駅「高輪ゲートウェイ駅」周辺は、4年後のグローバルゲートウェイ品川構想で5000億円投入し、6つの敷地に高層ビル7つからなる日本の新玄関口を予感させる槌音が響く。今回は駅から山の手側にあり江戸時代の東海道と並行した山手道(高縄手道=高輪の語源)にある歴史探訪を行い、過去と未来の間の中で久しぶりにOB仲間が散策交流を楽しんだ。お天気もよく、お馴染みの忠臣蔵47士祀る「泉岳寺」、昭和の8年に建てられ今でも現役で活躍の消防署を見学、コレラ禍防止を考え、広い場所での昼食と、法話を兼ねてご無理お願いした「高野山東京別院」で時間をとる。続いて幕末英国の公使宿舎にもなった「東禅寺」そして「高輪神社」と寺町地区巡りが終り、元の駅へ戻り、新駅の新設備等を見学、無人コンビニでの買い物体験や、新駅の折り紙型屋根のデザイン等、新しい感覚一杯の駅舎を確認する。恒例の打ち上げ一杯会はこんな時期にて行わず、早い時間に帰路につく。「漫友会」もH16年からはじめて、200回の区切り、その先輩格になる湘南地区の「寄り友会」と今回のように一緒に交流例会を行っており、今回で11回目ともなる。
報 告
高輪ゲートウエイ駅
令和2年3月開業、将来リニア新幹線の品川駅と一体化もあり、駅周辺はここ4・5年で大きな変貌となる。「隈研吾」設計の折り紙型木造屋根や、パナソニックの照明調光、調色を信号線で制御するシステム等新しい駅としての新機能が、そこら中に取り入れられている。
高縄手道=二本榎通り界隈
旧東海道=現第1京浜道を見下ろす高台位置にあり、往古では「奥州道」中世では「鎌倉街道」の1つでもあった。泉岳寺は四十七士のお墓で有名であるが、その近くに旧高松宮邸、本年3月まで上皇夫妻の仮住まい(仙洞仮御所)もある。その隣にあるのが四十七士の内、大石内蔵助等16名が一時預けられた細川邸があり、都営アパートの裏に忠烈の跡がある。この一帯は江戸時代尾根沿いに寺院が移転してきた。江戸の防衛上意図的に寺町にしたようである。
萬松山泉岳寺
ご存知赤穂浪士四十七士終結の地、両国吉良邸討ち入りより首洗い井戸、四十七士墓所大石良雄外十六人忠烈の跡等で有名。曹洞宗江戸三ケ寺の一つ。1614年(慶長18年)徳川家光が創建したといわれる。
高輪消防署二本榎出張所
竣工は昭和8年海抜25mの高台にあり、望楼は火の見やぐらとして、昭和47年まで使われていた。ここがすごいのが90年近く前の歴史的建造物が現役で使われていること。2Fは消防博物館で一般に見学提供している。
高野山東京別院
本院は高野山真言宗総本山金剛峯寺の別院で1673年(延宝元年)高野山江戸在番所高野寺として建立。昭和2年に別院に改称。首都圏における「大師信仰」の教化拠点であり、広く人々の心の拠り所となっている。 本山では松下マン物故者法要のご縁をいただいている。
東禅寺
1636年(寛永13年)に高輪へ移転した臨済宗のお寺で、幕末の「東禅寺事件」で有名。日本最初のイギリス公使宿舎とされたが、1861年(万延2年)水戸藩を脱藩した攘夷派の浪士による公使襲撃事件、その翌年には松本藩士伊藤軍兵衛によるイギリス兵殺害事件が起きた。
高輪神社
高輪の総鎮守、室町時代中期創建とされる稲荷神社で、境内には聖徳太子を祀った太子堂や庚申堂のある猿田彦神社があり、江戸時代には有名だったようだ。
行事企画:山下    写真提供:山下 中嶋 戸谷
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