今回は ~ 東海道五十三次のどまん中 袋井宿から見付宿の史跡めぐり ~ と銘打ってJR袋井駅前に建つ、スルガ銀行袋井支店の横道を北上。袋井市役所南のスクランブル交差点を左折した場所にある、「どまん中茶屋」からJR磐田駅前までの旧東海道に点在する史跡めぐりウォーキングを楽しみました。
■ コース順路:昼食休憩場所 ・ 二子塚公園〗
袋井駅北口 →どまん中茶屋 →宿場公園 →本町宿場公園 →澤野医院記念館 →コンビニ店→木原一里塚跡 →許禰神社・木原畷古戦場跡 →ミケ野橋 →大日堂 →二子塚公園→富見公園 →愛宕神社・一里塚跡 →中川橋 →旧見付学校 →西坂・姫街道分岐 →加茂川交差点 →只来坂 →府八幡宮 →磐田駅《ゴール / 解散》
◆ 奈良時代、琵琶湖のある地域を近淡海(ちかふみ)=近江、浜名湖の地域を遠淡海(とほつあみ)=遠江と言った。淡は、淡水湖のこと。遠州は遠江の異称で静岡県西部を指す。今回は、その遠江。袋井宿から見附宿に向う。
◆ 袋井駅から袋井宿へ:袋井駅前に正岡子規の句碑がある。「冬枯れの中に家居や村一つ明治22年(1889)に東海道線が開通したばかりの頃で、袋井駅は田んぼの中にポツンとあった。袋井中心部を流れる原野谷川、逆川、沖之川、宇刈川が合流して太田川となり、遠州灘へ流れ込む。川井、横井など八つの井戸がつく地名がある。「此地四方丘にして、中に田園ありて袋の如し。其中に大いなる井泉あり。四方田畑の科とす。故に名とす」と名称由来にある。
□ 晴天に恵まれた 4月24日(土)の朝、西部東・西部西地区から14名がJR袋井駅改札前に集合。相互の挨拶を交わした後、北口広場へ移動。リーダーの挨拶とコース説明と支部役員の石井さんから松愛会の情報説明の後、集合写真を撮り終えてから「どまん中茶屋」へ。
◆ 袋井宿は、慶長6年(1606)の宿駅制定から、掛川宿と見付宿に遅れること15年。掛川と見付の距離が16kmと長く、元和2年(1616)に制定された。東海度53次では京からも江戸からも27番目の宿で、「53次どまん中」を標榜している。「これより袋井宿」の案内石柱が天橋跡にあり、その前のどまん中茶屋は、一休みができる施設。
◆ 東海道とまん中茶屋:広重が描いた「東海道五十三次次袋井宿出茶屋ノ図」をモチーフにして建てられた旧東海道を往来する人たちの憩いの茶屋。休憩ができ、地元のお土産などを販売しており、地域の人たちとの交流の場ともなっている。
◆ 袋井宿の個性的な公園:袋井宿には東、中、西の3軒の本陣があり、東本陣には、壱番本陣とも呼ばれ、平成3年の発掘調査で建物の一部が発見された。現在では東本陣公園として、庭園、門などが造られている。袋井宿場公園は、袋井宿の中心部に位置し、宿場の雰囲気を持つように造られ、イベントにも利用されている。西木戸にある本町宿場公園は、宿場の西側入り口をイメージして造られていて、土塁や高札場が再現されている。
□ とまん中茶屋で、地元の人からお茶の接待をうけ、ひと息入れる。休憩後、10km先の見付宿に向って、昔の旅人になった気分で旧東海道ウォークをスタート。
■袋井宿の個性的な公園:袋井宿には東、中、西の3軒の本陣があり、東本陣には、壱番本陣とも呼ばれ、平成3年の発掘調査で建物の一部が発見された。現在では東本陣公園として、庭園、門などが造られている。袋井宿場公園は、袋井宿の中心部に位置し、宿場の雰囲気を持つように造られ、イベントにも利用されている。西木戸にある本町宿場公園は、宿場の西側入り口をイメージして造られていて、土塁や高札場が再現されている。
◆ 澤野医院記念館:澤野医院は江戸時代末期から開院し、昭和9年には病棟が建築され、地域の医療を担ってきた。当時からの医療建築としては他にあまり例がなく、貴重な存在で、街道ではひときわ目立つ建物。
□ 宿場公園、本町宿場公園前、袋井市立袋井西小学校(東海道どまん中小学校)前を通り過ぎると、澤野医院記念館前に到着。建物は袋井市指定文化財に指定されている。川井交差点で県道413号と合流し、袋井市の西端に位置する木原へ向う。旧東海道殿分岐する手前にある、コンビニ店で買い物を済ませ、木原集落に点在する史跡を巡る。
◆ 許禰神社:案内板によると、熊野の新宮の造営の碑用をまかなうために遠江では熊野神社が建てられたとある。十二所神社にも同様の記述があった。入口に家康の腰掛け石がある。
これは関ヶ原の戦勝祈願に立ち寄った際に腰掛けたとされる。
◆木原畷古戦場:南下してきた武田軍を浜松城の家康公がここまで兵を率いて戦った。家康公唯一の負け戦、元亀3年(1573)三方原の戦の前哨戦といわれている。6年後。徳川の様子を探っていた武田の歌臣笹田源吾を村人たちが打ち取ってしまったところ疫病がはやったため、村では念仏を唱え、言語を懇ろに弔った。これが木原大念仏の始まりで市の無形文化財になっている。
□ 袋井市の木原集落から再び県道413号に合流して西へ。蟹田川に架る西木橋を渡ると、磐田市になる。太田川に架る三ケ野橋を渡り、右岸の堤防から石の階段を下る、ここから三ケ野の集落になり、旧東海道を大日堂に向う。
◆ 大日堂・ミケ野七つ道:大日堂周辺は武田軍と徳川軍が戦火を交えた場所であり、袋井方面が一望できる交通の要所である。鎌倉古道、江戸道(東海道)、質屋に通った道といわれる室道、明治の道、大正の道が残され、昭和(国道1号)、平成(磐田バイパス)の道が整理されている。
□ 途中で三ケ野七つ道の一つ、江戸の古道を歩いて大日堂へ行く参加者、明治の道を通って二子塚公園に向う参加者に分かれた。「車井戸の跡・道標前」で合流し、昼食場所の二子塚公園へ向かった。途中で地元にお住いで、所用で参加出来なかった並松さんが合流され、昼食のひと時を一緒に過しました。
◆ 二子塚古墳・公園:古墳は、日本語で墓を意味します。
磐田原台地の東端に位置し、ほぼ南北方向に造られた前方後円墳です。二ツ山古墳とも呼ばれ、2つの塚が並んでいることから名付けられたものでしょう。
明治時代に棺をおさめた中心部から馬の飾りなどが発見されています。また、平成7年度の東部土地区画整理事業に伴って周りをめぐる溝の発掘調査を行った結果、墳丘に並べた人・馬などの埴輪が見つかりました。県内最古級の馬に関する遺物であり、埴輪と実物がセットで発見された珍しい例です。発見された遺物から5世紀後半(1500年前)に造られたことがわかりました。中遠地域周辺を治めた有力者の墓であると考えられます。
□ 二子塚公園で弁当を広げて疲れを癒した後、旧東海道に戻って見付宿へ向った。
近くのお茶屋の販売店に立寄り、それぞれが新茶を買ってリュックサックに入れる。ここで並松さんを見送り、旧東海道を西へ。坂道を上り、県道413号に合流。歩道橋で県道を渡ると、右手に切立った階段がある。ここは遠州鈴ヶ森と呼ばれた刑場跡で、日本左衛門の首をさらした場所である。再び旧東海道に入り愛宕神社へ向う。
◆ 愛宕神社・阿多古山一里塚跡:愛宕神社は火伏せの神として信仰を集めた。
裏山に阿多古山一里塚がある。
□ 愛宕神社の参道の階段でひと息いれ、見付学校へ向う。見付学校の隣りには、因幡の白兎で有名な大国主命を祭事とする淡海国王神社が鎮座する。
◆ 淡海国王神社:御祭神は大国主命 他 十五柱 創立年月日は不詳。
大国主命と兎 数ある神話の中でも有名な「因幡の白兎」。話の中では、兎はサメを騙した悪者ですが、一説には大国主命の奥さんの八上姫が兎を使者として:、結婚相手を探したとも言われています。自分の身体を傷つけて大勢いる兄弟神様の中から清い心の持ち主の大国主命を見つけ出す役目をした訳です。この兎のお蔭で大国主命と八上姫はめでたく結婚されたので、縁結びの神様としも慕われています。
◆ 旧見付学校:現存する日本最古の洋風木造学校で明治8年(1875)に造られた。建物の石積みは横須賀城(掛川市大須賀)から移築され、当初は4階建てで、明治16年(1883)に5階建てとなった。玄関のエンタシスをつけたドリス式の飾り柱や男女の分れた入口などが残り、建物内では当時の学校風景や資料が展示されている。
□ 見付学校の見学を済ませ、最後の立寄り先の府八幡宮へ向う。途中に姫街道入口(池田近道)がある。
◆ 姫街道分岐:見附宿から浜名湖の北側を迂回し、御油宿を結ぶ15里(約 60km)の道は姫街道、または本坂峠を超えることから本坂道などとも呼ばれている。姫街道のもび名は新居関所の厳しい取締りを避けるため、女性が多く利用したという説や古いという意味の「ひね」が変化したからとも言われている。起点は浜松の安間と言われ、一里塚も築かれている。
◆ 府八幡宮:祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇。境内に祀られている武内宿禰は、長寿の神様という。これに因み「ボケ封じの宮」とし、ナスの形をした「ボケ封じ成す守り」というお守りを授与している。
□ 府八幡宮に参拝を最後に、今回のウォーキングも参加者全員が元気に完歩できたことを湛え合ってJR磐田駅で解散しました。
【 幹事 / 山口 孝 副幹事 / 菅沼利之 レポーター / 幸岡満寿夫 】
次回の開催は 第161回 2021年5月29日 (土)
~ 湖畔の自然と美しい景観の浜名湖ガーデンパーク ~
東海道線 / 弁天島駅改札口前 午前 9時40分 集合 !
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