関東の世界遺産を巡る旅に行ってきました

初冬に2つの世界遺産を巡る旅に行ってきました

平地で雪の降る直前の12月1日~3日にかけてカメラ片手に松本を拠点として群馬と山梨にある2つの世界文化遺産を巡る旅に行ってきました。
今年は、冬の到来が遅く、現地の昼間の気温は、13~14℃くらいで天候も良かったので暖かい中での旅でした。念のために冬用のタイヤに履き替えていたのですが全く必要はなかったです。
初日の1日は、朝早く家を出て松本市安曇野方面の池田町に向かい、隠れ家的な店で新そばを食しました。そのあと車で5分位の高台にある池田町立クラフトパークと「北アルプス展望美術館」に寄ってこの地域に関連する絵画や工芸を鑑賞した後、冠雪した大天井岳(オテンショダケ)や有明山(アリアケヤマ)を背景に安曇野の風景を撮影しました。ここは私のお気に入りの場所で松本に来たときはよく立ち寄っています。

この後は、白馬村に行こうと思っていたのですが北の方は、山が雪雲に隠れて見えない状態でしたので、諦めて松本に戻り、市街のすぐそばにある城山公園(ジョウサンコウエン)で松本市街の風景を撮りに行きました。ここの展望塔も視界が270°開けていて、松本市街及び北アルプスや美ヶ原方面の眺望が良かったです。春には桜の花見客でにぎわうところだそうです。今年は暖かかったので山々の黄葉が残っていて美しい景色でした。

この後ホテルに戻りましたが、私ども夫婦が泊まったのは、JR松本駅アルプス口から約100mほどのところにあるビジネスホテルで7階の部屋の窓から北アルプスが展望できる私のお気に入りのホテルで部屋が空いている時はここを利用します。
2日目の朝は、6時半に目を覚ましホテルの窓から朝日に輝く北アルプスの風景を撮影しました。

 

2日目は、ホテルで朝食を済ませた後、1つ目の世界遺産である群馬県の富岡製糸場に向けて8時半に出発。長野自動車道・上信越自動車道で富岡に向かう途中、妙義山(ミョウギサン)の異様を目にし、車の中から撮影しました。

10時半に上信鉄道の上州富岡駅近くの無料駐車場に到着。製糸場の近くにも有料の駐車場がありましたが、ここに駐車して正解でした。
まず、駅前の世界遺産センター見学、下調べをしてこなかったので通り過ぎようとしたところを職員に呼び止められて入館しました。ここは養蚕や生糸生産、近代日本の繊維産業の発展の歴史を学び、世界遺産登録に至る経緯を分かりやすく知ることができ、製糸工場見学の前にぜひ訪れておくと良い施設でした。ここには実物の蚕(カイコ)や繭(マユ)が展示されており手で触ることが可能です。
蚕は、卵から孵化して幼虫となり5回の脱皮を繰り返しながら成長し、繭を作ってその中でさなぎになり8日から14日で成虫(蛾)になります。そしてすぐに交尾をし卵を産んですぐに死ぬそうでその間約2か月しか生きません。自然界では孵化は春の季節にのみ起こるのですが、卵がたくさんついた種紙を荒船風穴(アラフネフウケツ)という冷暗所で保存し必要な時に取り出すことで年中、孵化をさせること可能となり養蚕と繭づくりの安定的な生産を可能としたとのこと。また蚕も衛生的ですくすくと成長するような養蚕技術も開発され、その技術を日本各地に技術指導して広めていったとのことでした。近代的な製糸工場だけではなく、技術者や養蚕農家など多くの方がかかわった養蚕技術の発展が明治初期、ジャパンシルクが世界で高い評価を受けるようになった要因とのこと。そうしたものも含めて平成26年(2014年)に「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコの世界文化遺産に登録されたとのことでした。

ここを後にし約10分ほど歩いて富岡製糸場に入場した。富岡製糸場は、1872年に明治政府が日本の近代化のためにフランス人技師の指導のもとで設立した模範器械製糸場です。政府は生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成し、近代製糸技術を国内に広めるため、洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決めました。しかし大河ドラマでもありましたが当初は女工さんがなかなか集まらず苦労されたようです。工場敷地内には、女性専用の寄宿舎や学校も併設され、製糸技術のみならず、一般教養、料理、裁縫なども学ぶことができたようで、パナソニックの枚方の研修所にも何か通ずるものがあると感じました。実際に中に入って和洋折衷の木造レンガ造りの長大な建物と昭和62年まで経営主体を変えながら操業していたことをしり驚きました。ただ、乾燥場・繭扱場保存整備工事にともない、富岡製糸場「女工館」付近の見学通路が狭くなっていた。また内部を見学できる建物も一部に限られてしますが、東置繭所、西置繭所、社宅、繰糸所の中には入ることが出来ました。操糸所は、繭から糸を取る作業が行われていた長さ約140mの巨大な工場です。中央に柱を立てないようにとトラス式天井になっています。なお、ガイド付きの案内(有料)を申し込むと製糸場全体を40分くらいで見て回れるようです。

知らなかったことが多く、街をあげて取り組まれていたので富岡は訪れる価値があると感じました。なおここまでで予定以上の時間がかかったので「みの助茶屋」で上州名物「おっ切り込みうどん」で昼食を済ましました。山梨のほうとうに似た幅の広い麺の味噌煮込みうどんでした。寒い季節にはピッタリの食べ物ですがこの日は暖かくて(14℃)汗をかきながら食べました。

富岡出発が午後3時になったので当初予定していた小諸城址の散策は中止し、海野宿(ウンノジュク)に向いました。
海野宿は、北国街道の宿場で日本の道100選に選ばれた歴史情緒あふれた町並みでよく保全されていました。ただ、到着時間が夕方4時すぎになったため、人通りが少なく案内所や店も閉まっていましたが、あまり観光地化がされておらず昼間でもゆっくりと散策ができる場所のようです。

海野宿を1時間ほど散策した後、松本のホテルに向かって帰路に就きました。

3日目の12月3日には、2つ目の世界遺産である富士五湖を目指して8時にホテルを出発。
富士山は、信仰の対象と芸術の対象としてH25年(2013年)に世界文化遺産としてユネスコに登録されました。
実は、私はS56年(1981年8月)に富士山に登頂したのですがその時は霧と雲で山容は全く見えず、登山道の地面しか見えませんでした。また2012年8月にも富士五湖巡りに行ったのですが、やはり雨天で富士の山容を見ることはできませんでした。私は富士山とは縁がないものと思っていました。それで今回の再挑戦となりました。ただし2021年11月に山中湖には行ったため今回は山中湖を除く4湖をめぐる行程としました。

10時半ごろに河口湖畔のロープウェイ乗り場に到着しましたが、海外からの観光客が長蛇の列をなしていたのでロープウェイを断念して河口湖の富士山撮影スポットである大石公園に向いました。
大石公園も多くの観光客で混雑していましたが、何とか三脚を立てて雄大な富士山の撮影を行いました。私の隣では地元のテレビ局が来て撮影をしていました。天候は雲一つない晴天で気温も14℃くらいで暖かかったです。

そのあと、西湖(サイコ)に向いました。撮影ポイントは、西湖の西の端のキャンプ場付近でここまでくると観光客が少なくゆっくりと撮影できました。我々の他に台湾から来られたウェディングの前撮りの方々がおられました。

西湖を後にして、精進湖(ショウジコ)に向いました。
精進湖の撮影ポイントは、精進湖西岸パーキング付近でここも観光客が少なくゆっくりと撮影できました。太陽の位置も良く濃いブルーの湖と子抱き富士を撮影しました。手前の小さな山は大室山です。湖畔にはまだ紅葉の木は残っていました。

精進湖を後にし4つ目の本栖湖(モトスコ)に向いました。
本栖湖の撮影ポイントは、中之倉トンネル入り口付近で旧千円札の富士山の絵の構図が撮れるポイント。ここも観光客が少なくゆっくりと撮影できました。太陽の位置と湖の水深が深いので湖の青が濃くと空の青空もブルーがきれいな写真となりました。

本栖湖での撮影の後、湖畔のレストランで遅めの昼食として山梨名物の「ほうとう鍋」を食べ、静岡「美保の松原」に向いました。ここは当初の予定には入れていなかったのですが、西湖のウェディング前撮りの方々を乗せてきたドライバーが時間を持て余していて我々と話をしたとき、このドライバーは静岡の方で、三保の松原からの富士山もとてもきれいなのでぜひ行ってみたらと勧めら急遽予定に組入れました。ただ、本栖湖出発が午後3時過ぎで途中の道路も混んでいたため三保の松原に到着したのは日が暮れた後の午後5時ごろになりました。本来の美しい風景ではなかったのですが夕暮れの薄明りの中で何とか三保の松原の富士山を撮ってきました。


三保の松原を出発して帰路につき、新東名、伊勢湾岸道路、新名神を通って午後9時半に大津の自宅に無事到着。
今回の旅行を
振返って、今回も天候にも恵まれ、富岡では今まであまり知らなかった養蚕や製糸工業の発展が明治の日本の発展に大きな役割を果たしたことを知ることが出来、有意義でした。またきれいな富士山を沢山見ることが出来て来年も良い年となってほしいと感じた旅でした。

投稿者:大津市在住 半井 尚

 

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