行ってきました、生駒の火祭り 2024年10月13日

往馬大社の火祭り

火取り(クライマックス)

往馬大社の火祭りを見学してきました

 写真と記事は奈良西支部の山本博美さん

はじめに

2024年10月13日、秋、真っただ中、往馬大社(通称:生駒神社)の火祭りを拝見してきました。街から一歩踏み入れれば悠久の杜に包まれる神聖な空間が広がっていました。生駒市の中・南地区には古代から農耕に根付いた祈りの文化が継承されており、中でも今回の火祭りはこの大社最大の行事。意匠や道具も新しく益々血気盛んな様子。見物客も境内いっぱいでドローンによる撮影も行われておりました。これからも長くこの祭りが伝承していってほしいものです。

往馬大社の成り立ち

往馬大社は生駒山の山頂から真東の麓のこんもりとした森に鎮座する。約千五百年の歴史を誇り「往馬坐伊古麻都比古神社」(いこまにいますいこまつひこ)と呼称された生駒谷十七郷の氏神さま。往時の祭神は「火きり木の神」と尊崇され延喜式神名帳に連なる大社であった。「火の神」から「火取り神事」へと祈りの文化が継承されてきた。歴史の激変に応じて、祭礼・祭祀御供・祭祀組織などは変化を遂げながら、人々の豊かな心の生活を今に守り伝えています。

大社の歴史

神社に関する最も古い記述は『総国風土記』の雄略天皇3年(458年)で、この年を御鎮座と致しますと、去る平成21年に1550年を迎えました。また、正倉院文書にも記載が見られ、奈良時代からすでに朝廷との関わりがありました。平安時代の『延喜式』(927年)では、往馬坐伊古麻都比古神社二座が官弊大に列せられ、その内一座は祈雨(あまごい)の弊も賜っていました。この時代、本殿は産土神の二座でありましたが、鎌倉時代に五座の八幡神を合せ祀り現在の七座となりました。

大社の沿革(抜粋)

飛鳥時代 458年「総国風土記」→御祭神御鎮座
奈良時代 730年「大和国正税帳」→往馬神戸、稲二百九束七・・・
平安時代 927年「延喜式神名帳」→往馬坐伊古麻都比古神二座、月次・新嘗・・・「火きり木」献上(雨乞い神事)
室町時代 1456年「生駒曼茶羅」→境内の建物はほぼ現在の配置。
江戸時代 1705年「生駒八幡宮御鎮座伝記」→天火(落雷など)により社地焼失。
現代   2012年往馬大社火祭りが「奈良県無形民族文化財」指定

往馬大社の火祭り

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP