■ホームページ担当の鷲見です、お待たせしました。
この記事では前回掲載した「山本さんが選んだ実戦城郭ベスト31位~40位」に続き、41位から50位を掲載します。
★ 山本さんが選んだ実戦城郭ベスト41位~50位 ★
- 41.村上城
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新潟県村上市 城主:本庄繁長
国史跡、続日本100名城
■北越後の中心拠点。上杉謙信に反旗を翻し謙信との篭城戦(ろうじょうせん)など幾たびの戦いあり。標高135mの山上にそびえる石垣・眼下の市街地・遠くの日本海・越後山脈など素晴らしい眺望でしばらく見とれた。麓の民家の軒先には三面川で捕れた鮭が吊るしてあった。(村上の風物詩)
- 42.信貴山城
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奈良県平群町 城主:松永久秀
■大和と河内を結ぶ要衝の地にあり県下最大規模の中世城郭。本丸跡に4層の天守櫓あり。信長に謀反を起こし久秀はこの城に籠城。信忠率いる4万の軍勢が城下を焼き払い城を包囲すると久秀は名茶器である「平蜘蛛茶釜」と「天主」を自焼して自害。信長の傲慢さに嫌気を刺されたか!
- 43.三木城
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兵庫県三木市 城主:別所長冶
国史跡
■秀吉勢数万による兵糧攻め「三木合戦(三木の干殺し)」の舞台になった城。播磨三大城と称された堅城も1年10ヶ月の籠城戦で落城。近くに長冶の墓や攻防戦の最中に陣中で没した竹中半兵衛の墓あり。長治辞世の句「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」が痛ましい。
- 44.原城
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長崎県南島原市 城主:天草四郎
国史跡、続日本100名城
■藩主の松倉重政父子は財政逼迫により苛政を敷きまたキリシタン弾圧を行ったことにより農民一揆を引起こした。この一揆は飛び火し廃城となっていた原城に約3万7千人が立て籠もった。3ヶ月に及ぶ籠城で弾薬・兵糧も尽き皆殺しとなる。藩主が己の失政を農民に押し付けた戦で訪問者には重い空気が漂う。
- 45.沼田城
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群馬県沼田市 城主:真田昌幸
続日本百名城
■河岸段丘の台地上に位置する丘城。北関東の軍事上の要衝で上杉氏・北条氏・武田氏が争奪戦を展開。豊臣秀吉による小田原征伐後は真田昌幸の長男・信幸(信之)の居城。当時の関東の城としては最大規模であった5重5階の天守が築かれた。本丸跡に立つとここの魅力が実感できる。
- 46.上月城
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兵庫県佐用町 城主:尼子勝久
■毛利輝元が率いる3万の大軍に囲まれ、救援の羽柴秀吉も三木城攻略(信長命令)のため見殺し撤退、孤立した勝久は毛利氏に降服自害。この時、山中幸盛(鹿介)も捕らえられ備後国鞆に移送途中、備中国高梁で誅殺。尼子氏再興の夢が途絶えた。戦国世の無情を感じる出来事。
- 47.霧山城
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三重県美杉町 城主:北畠教具
国史跡、続日本100名城
■伊勢国と大和国を結ぶ伊勢本街道沿いにある交通の要所で同時に峠越えとなる天然の要害。伊勢国司から戦国大名となった北畠氏の本拠地で16千騎を有した城郭。 240年間難攻不落の城であったが織田勢に騙され攻められて落城。山麓の北畠神社に「北畠氏館跡庭園」があり京文化が漂う。
- 48.郡山城
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広島県安芸高田市 城主:毛利元就
国史跡、日本100名城、山城100名城
■毛利氏の居城で比高190m山全体を要塞化した巨大な城郭。「吉田郡山城の戦い」の舞台でもあり尼子晴久率いる2万の軍に包囲されながらも籠城して撃退した。元就や隆元の墓も残る。本丸からの眺望は良くないが「毛利氏を一代で西日本最大の戦国大名へと押し上げた城」がここかと思うと感慨深いものがある。
- 49.荒砥城
あらとじょう -
長野県千曲市 城主:山田国政
■標高590m尾根の突端部にあり戦略上の要衝で村上義清配下の山田氏の居城。川中島合戦の頃には武田軍と上杉軍による争奪戦を繰り広げた。当時の雰囲気がよく再現できており大河ドラマ「風林火山(2007年)などのロケ地としても使用。眼下に千曲川を見下ろす素晴らしい景色が楽しめる。
- 50.諏訪原城
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静岡県島田市 城主:馬場信房
国史跡、続日本100名城
■駿遠の国境に位置し武田氏が築城、遠江侵攻の拠点・徳川氏に対する備えとした。1575年徳川家康によって攻め落とされた。城の背後に大井川が流れる交通の要衝に立地。自然を巧みに利用した三日月堀や丸馬出しなど「甲州流築城法の典型」といわれる遺構に圧倒される。。
(注)城の日付け付き写真はホームページ担当鷲見の所有する画像です。
ご閲読ありがとうございました。
次回「山本さんが選んだ実戦城郭ベスト51位から60位」は8月末頃に掲載させていただきます。
前回掲載の31位~40位の記事はこちら↓からご覧下さい。
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