山本さんの歴史探訪旅行記
・8分割 最終8日目 45-47
ホームページ担当の鷲見です。
先に掲載した山本さんの歴史探訪旅行記は47箇所の解説を1ページに掲載しましたが、長すぎて下まで読みきれないとのご意見もあり、8日の旅を8ページに分割しました。参考までに、旅先をプロットしたGoogleマップを添付しました。
歴史探訪 作手
- 45.
三河亀山城
別名作手城 比高30m
愛知県新城市作手清岳
新城IC~車 22km(34分)道の駅「つくで手作り村」駐車場利用
- 1424奥三河に勢力を張った土豪、奥平貞俊がそれまでの川尻城が手狭で築城。以後165年間奥平氏5代の居城、江戸時代には作手藩1万7千石として松平忠明が城主。現在、城址は縄張りがほぼ当時のまま残る。本丸を中心に各種の曲輪、土塁、空濠を確認することができる奥三河屈指の平山城。ここからは石橋城、文殊山城、塞之神城、古宮城、川尻城が見渡せ、各々の城の距離感が近い。毎年、5月には火縄銃の演舞を行う「古城まつり」が開催。
攻城メモ:道の駅側から階段があり本丸まですぐ。
- 46.
甘泉寺(かんせんじ)
(鳥居強右衛門の墓)
愛知県新城市作手鴨ケ谷門前23
- 臨済正宗22世弥天永釈大和尚が1370開山。300年以上経た杉の巨木が生い茂る石段の参道は長い歴史を感じる。織田信長が葬ったと伝わる長篠の戦いで長篠城で磔にされた功労者、鳥居強右衛門勝商と夫人の墓があり位牌も祀られている。また境内のコウヤマキ(国天然)は日本最大の大きさで樹齢600年以上、1990「新・日本名木百選」に選定。
- 47.
古宮城(ふるみやじょう)
比高25m
続日本100名城
愛知県新城市作手清岳(つくできよおか)字宮山地内
(丘陵内の白鳥神社が城入口)Pから約5分
- 馬出しを備えた武田流城の最高事例の1つ。1571武田信玄が奥平氏監視目的で築城。ここは東三河侵攻の拠点。城の規模は250m×200mほどで全山を要塞化し土塁の上や丘陵地の高台から敵の正面や背後、側面から弓矢を放つなど四方八方から大勢の敵に一度で対応できる防備に優れた縄張りが読み取れる戦国の名城。1573「長篠・設楽原の戦い」で織田信長と徳川家康の連合軍に武田勝頼が敗北、次第に武田氏の拠点城郭としての性格が失われていった。城郭南側中央部で東側丘陵に鎮座する白鳥神社の脇道の階段や登城道を通り両袖枡形の出入り口(虎口)を経由すると直ちに城の最高地点の主郭に至る。攻城メモ:文句なしの五つ星。作手歴史民俗資料館は朝10時開館。古宮城と亀山城のパンフレットが入手できる。(2020/11/22訪問)
自宅~約220km 所要時間約3時間 高速代約6200円
このように、皆様の活動を支部ホームページでご紹介したいと思います。ご意見ご要望はこちらのお問い合わせまでお知らせ下さい。
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