分割掲載【1日目】山本さんの歴史探訪旅行記 長野

山本さんの歴史探訪旅行記の
・8分割1日目 1-5

 ホームページ担当の鷲見です。
 先に掲載した山本さんの歴史探訪旅行記は47箇所の解説を1ページに掲載しましたが、長すぎて下まで読みきれないとのご意見もあり、8日の旅を8ページに分割しました。参考までに、旅先をプロットしたGoogleマップを添付しました。

歴史探訪 長野

山本さんの歴史探訪旅行記

第一日目・クリックで地図が開きます


1.
・姨捨の棚田(田毎の月)
・芭蕉碑
 日本の棚田百選
 名勝
 長野県千曲市八幡4984(長楽寺)
 長野道姨捨スマートICから約1kmで姥捨観光会館P(50台)
 三峯山(1131m)の北東麓に16世紀半ばから造られた棚田。初夏に水を張った棚田に月が映り込む風景は田毎の月(たごとのつき)として江戸時代から有名。歌川広重の『六十余州名所図会』にも描かれている。日本の棚田百選、国の名勝、重要文化的景観に選定。標高460m~560mに約2,000枚の棚田が残る。905年に初めて「姨捨(うばすて)山の月」と歌に詠まれ古くから月の名所(日本三大名月)として数々の歌が詠まれてきた。1688松尾芭蕉の来遊もありまた「冠着山・更級川・姨石・姪石(めいし)・甥石(おいし)・小袋石」など、姨捨を構成する13か所の風景や観月の名所として棚田を「姨捨の田毎の月」はさらに広く知られる。景観保護のため姨石や芭蕉の句碑などが残る長楽寺一帯とそこから望まれる48枚田、姪石を展望地点として名勝に指定保存。ちなみに姨捨という地名はかつて貧しい村では70歳になる老人を山に捨てたという伝説に由来。
自宅~約400km 所要時間約5時間 高速代約9000円


2.
川中島の戦い
①武田信繁墓(典厩寺てんきゅうじ)
 長野市篠ノ井杵淵1000-12

②山本勘助墓
 長野市松代町柴260寺尾小近く

③高坂弾正忠昌信の墓(明徳寺)
 長野市松代町豊栄2833
①川中島合戦で討死した信玄の実弟・信繁(典厩)の墓あり。合戦時は鶴巣寺と号して薬師如来を本尊としていた。合戦から60年後、松代藩主真田信之が信繁の唐名「典厩」から寺号を典厩寺と改め信繁の菩提と武田・上杉両軍の戦死者6千余名を弔った。信繁は討死して上杉方に首級を取られたものの、信繁の家臣らが追撃して取り返した。首級は領地の小諸に帰りここの墓は胴体だけと伝わる。
②1561川中島合戦では自らが進言した「啄木鳥戦法」を上杉謙信に見破られたため武田軍が苦戦に陥ったことに責任を感じ討死覚悟で敵中深く奮戦、力尽きたと伝わる。この山本勘助墓は昔はこの南方の高畑附近にあったが1739に松代藩家老蒲原重栄がこの地に移設、碑を建てたもの。(現地説明文より)
③山本勘助に兵法や築城の教えを受けた智将高坂正忠昌信の墓あり。信玄、勝頼の2代にわたって仕えた。川中島の合戦後には、敵味方の区別なく戦死者の遺体を丁重に収容し武具まで取り揃えて敵方に引渡したという。のちに謙信が越後から甲州の民に塩を送った美談があるがこれは高坂弾正忠の義に対する返礼であったと伝わる。明徳寺の本堂は、入り口が建物の左寄りに設けられている珍しい造り。
典厩寺住職との会話:朝9:30頃、庭の掃除を行っていた。姿勢が大変よく健康に大変気を使っておられる人だった
①枕は用いない。半年で慣れる。腰痛もない。ソフアーには座らない。
②ストレッチは必要。膝上げで足鍛えてヨロヨロが少なくなった。転んで入院すると体力の低下が進むので気をつけている。
③酒は飲まない。甘いものも食べない(糖尿防止)
④1時間以上座るのは良くない。足のために立つこと大事。


3.
長国寺(松代藩真田家の菩提寺)
 国史跡
 長野県長野市松代町松代1015-1<
創建当時は総門、禅堂、開山堂、江湖寮(3棟)、衆寮、庫裏など東西におよそ130m、南北に260mという広大な敷地に偉容を誇っていた。 上田市真田町長(おさ))の長谷寺に始まる。江戸時代に入り真田信之が1622上田城から松代に移されると当時の長谷寺の住職を開山としてここに建立したのがこの寺。真田家からは黒印地として200石が知行。知恵と忍耐で家名を護り真田の血を現代にまで残した賢将・信之公の霊廟(重文)あり。


4.
山寺常山邸
 国史跡
 長野県長野市松代町松代1493-1
山寺家は松代藩で知行160石の中級武士の家格。江戸時代末期に山寺常山を輩出し、鎌原桐山、佐久間象山とともに松代の三山と称された。8代藩主真田幸貫の信望も厚く藩政にも尽力し、寺社奉行、郡奉行を務めたほか、藩士に兵学を教授し、また藩主の側にあってその政務を補佐した。明治になってからは中央政府の招きを固辞し藩に留まり、晩年は長野に塾を開いて門人の教育につとめた。現在、山寺常山邸には表門と書院が残る。表門は長屋門形式で全幅は約22m、松代城下に残る門のなかでは最大。


5.
松代大本営跡(像山地下壕)

 長野市松代町西条479-13
入壕料:無料
 9時~16時
 毎月第3火曜日休み

太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために現松代地区などの山中(象山、舞鶴山、皆神山の3箇所)に掘られた地下坑道跡。象山地下壕が一般公開されている。政府、日本放送協会、中央電話局、舞鶴山地下壕付近の地上部には天皇御座所、皇后御座所、宮内省(現宮内庁)として予定されていた建物が造られ現在も残っている。松代が選ばれたのは①.固い岩盤で掘削に適し10t爆弾にも耐える。②.山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち広い平野がある。③.長野県は労働力が豊かなど。日本人を中心に朝鮮人労働者や技術者が昼夜を問わず突貫工事で進められた。見学できるコースは延長519m。年間12万人の見学者あり。


宿泊1 5月15日.
ホテルオリンピア長野

 〒381-2224 長野県長野市川中島町原768-2

ビジネスシングル(禁煙) 朝食(バイキング)付きプラン 6200円(税込) 冷蔵庫付き 洗浄機付トイレ
 JR篠ノ井駅より徒歩12分
 口コミ:
①古い感じは否めないが十分なホテル。朝食が楽しみ。②多分二度と利用しないホテル。フロントの対応は最低。救いは手作りの朝食。③良心的な価格、部屋も綺麗。

 このように、皆様の活動を支部ホームページでご紹介したいと思います。ご意見ご要望はこちらのお問い合わせまでお知らせ下さい。

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