和歌祭 四百年式年大祭(2022年5月15日)

  • 毎年恒例で5月和歌浦地区で開催されている紀州東照宮の大祭「和歌祭」が、2022年400年の節目を迎え、場所を和歌山城とその周辺に移し盛大に開催されました。
  • 久々に本町・和歌山城周辺で開催となりました。数十年前は三木町から公園前、和歌山城周辺で開催され、商工まつりと一緒に開催された時期もあります。
  • 和歌山電気軌道線があった頃は花電車が走り盛大なまつりだったのを覚えています。
  • 獅子や、面被、鬼が子供達を泣かすのは昔はもっと強烈で子供はギャン泣きでした。
  • 和歌山市出身者には非常に懐かしいと思います。(和歌山・石山)
  • 8:00~ 神輿おろし(紀州東照宮)
  • 8:30~ 神輿出立式(紀州東照宮会館前)
  • 神輿わたり(紀州東照宮~和歌山城)
  • 12:00~ 渡御始め式(フォルテワジマ前)
  • 12:15~ 渡御行列(フォルテワジマ前~市役所前)
  • 14:30~ 渡御納め式(和歌山城 西の丸広場)

 

コメント

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  1. 和歌祭とは、紀州東照宮の大祭の渡御の呼称で、別名「紀州の国祭」「権現祭」などとも呼ばれている祭りの行列です。1619年(元和5年)、徳川家康公の十男である頼宣公が、初代紀州藩主として南国の要衝:55万5千石紀州藩和歌山城に入城、1621年(元和7年)には和歌浦の権現山に家康公を祀る「紀州東照宮」を創建し、その翌年から始めた例大祭が和歌祭です。
    紀州藩は徳川御三家として第8代将軍吉宗公以後の歴代の将軍はいずれも紀州藩およびその連枝である一橋徳川家に連なる者で占められることになりました。第8代 将軍・徳川吉宗公、第14代将軍・徳川家茂公 御三家のうちで唯一将軍を出した家になります。
     江戸時代~明治、和歌山は全国第八番目の大都市でした。当時は海運が非常に盛んで和歌山はその要衝でした。勿論、鉄道の施設、産業振興も早かったです。1980年頃は阪神工業地帯の一角、北部臨海工業地帯で活況を呈しました。住友金属和歌山製鉄所(現:日本製鉄関西製鉄所和歌山地区)、溶銑量が世界最大922万トンの時期もあり、シームレス鋼管は現在も世界シェアトップ、日本で唯一、鉄道用車輪・車軸を関西製鉄所で生産しています。現在も和歌山県北部は重化学工業が盛んな地域です。

    • 紀藤文武
    • 2023年 6月 09日

    昨年の和歌祭式年大祭は過去最高にすばらしいものだった。今でも写真や動画で振り返れば、あの時の興奮がよみがえる。
    あれから1年。雨天中止となった今年との落差は、ゆえに激しく、とてつもないロスを感じざるを得ない。
    市内を巡る藩侯時代の行列、次の式年祭まで封印だろうか? とすれば勿体ない。市民として願わくば5年から10年に1度くらいは観たいもの。全国話題に堂々と通用する、真の「天下祭」に育て上げる意欲を、各関係者には期待したいものだ。

    それにしても、行政側には不満も残る。2019年以降、入国400年など紀州徳川家関連で多少の取組はあったものの、すべて一過性で薄弱な展開にすぎず、全国ニュースには一切ならなかった。
    藩祖頼宣公は紀州に多くの産業や文化遺産を残した明君だが、それを積極に評価した表現はなく、400年記念レガシー等は何も残っていない。偉業を伝えようという意思がこの県は皆無すぎ。「南葵音楽文庫」のみでは、やはり物足りない。

    御三家紀州藩、和歌山県。他県なら垂涎に思うキラーコンテンツのはずだ。冷淡な等閑視史観は止め、再考を促したいものである。。

    • 紀藤様 コメント有り難う御座います。2022年和歌祭りは素晴らしかったですね。私が小さい頃、昭和30年代、和歌山商工まつりと時期を同じくして、本町公園を出発、本町通りから和歌山城を行進していたのを思い出します。和歌山軌道線には、花電車が走り追いかけたものです。和歌山は徳川治世400年、著名な先人・偉人も輩出しています。幸い和歌山には海、山があり、阪神工業地帯に属する北部臨海工業地帯、歴史・文化・観光・医療(日赤医療センターは、東京広尾と和歌山市の二ヶ所です。)等ポテンシャルは高いと思っています。徳川将軍を輩出した唯一の御三家は紀州藩です。歴史も含めアピールは弱いように感じます。

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