高野山の開祖である弘法大師:空海の母が暮らしていたという慈尊院があります。
空海は月に9度母に会いに来ていたことから九度山の地名が付いたと言われます。
古くから高野山領で明治まで続きました。
関ヶ原の戦いで西軍として戦い敗れた真田昌幸・信繁幸村親子が1600年に高野山に流罪、後に高野山領九度山で困窮した生活を送りました。
後に豊臣側に与すべく九度山を脱出して大坂の陣で勇戦しました。真田幸村関連の施設やイベントがあります。
高野山関連で世界遺産登録された慈尊院や町石道などがあります。
南海電鉄高野線沿線です。
(和歌山・石山)
真田信繁幸村公の大阪市内のゆかりの地(大阪・天王寺区)
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