- 2年ぶりの一般参加です。天候に恵まれ、桜も咲き誇り素晴らしかったです。(和歌山・石山)
- 雑賀孫市は強大な鉄砲傭兵集団、戦国時代、織田信長軍の紀州攻めを蹴散らしました。
- 雑賀衆(さいかしゅう)は、中世の日本に存在した鉄砲傭兵・地侍集団です、「紀州惣国」もしくは「雑賀惣国」とも呼ばれています。
中世の紀州で大きい勢力持っていたのは、寺社の僧兵(根来衆)および雑賀衆です。惣国故、著名な戦国大名はおらず現在の共和国でフラットな組織。
その為和歌山弁に敬語はないと聞いています。 - 【開催場所】和歌山市本願寺鷺森別院、一時期大坂の石山本願寺:顕如上人が鷺森別院に退隠していました。
- 【開催日時】2022年3月27日(日)11:00~16:00
雑賀孫市ゆかりの地
沙也可顕彰碑(紀州東照宮)
沙也可(金忠善)は1592年の文禄の役(壬辰倭乱)で、加藤清正の先鋒として鉄砲隊を率い朝鮮に渡りました。この戦いには理由がないとして朝鮮軍に投降。朝鮮の武将として戦功を立て、正2品の正憲大夫に取り立てられました。子孫は韓国全国に7000人余りいるようです。出自については和歌山県出身などさまざまな説があります。
紀州(和歌山)には、著名な戦国大名はいません。惣国(合議制)の鉄砲傭兵集団の雑賀衆や、寺社の強大な僧兵(高野山・粉河寺・根来寺)等が自治を行っていました。その為、和歌山弁に上下関係の敬語は乏しいです。信長公の紀州攻めは蹴散らしましたが、その後の秀吉軍の大軍による紀州征伐で雑賀衆・根来寺・粉河寺は破れます。雑賀衆の太田城は水攻め(日本三大水攻めの一つ)で滅びます。
後に、和歌山は御三家の紀州徳川家となり繁栄、二将軍が出ています。第8代将軍:吉宗公と第14代将軍:家茂公です。御三家の一つを紀州に設定したのは当時の交通の要衝(海運)だからです。
忍者は伊賀と甲賀が有名ですが、三大忍者のもう一つは紀州忍者です。江戸幕府「お庭番(隠密)」がその流れのようです。詳細な記録は「忍」ですのであまり残っていないようです。幕府の中ではかなり格上のポジションだったと伺っています。
和歌山県は明治以降、繊維産業などで活況呈し、沿岸部は阪神工業地帯の一角をなす北部臨海工業地帯、製鉄・化学・石油精製等重化学工業地帯で発展しました。