- Panasonic は、2018年 大阪市大開町で創業し、100周年を迎えました
松下幸之助創業者は、和歌山県海草郡和佐村千旦の木(現:和歌山市)に生まれました。
足跡でポイントとなる地域を写真にて紹介致します。
(記事:奈和支部 支部役員・和歌山 石山)
【1.生誕の地 】
- JR和歌山線 千旦駅より徒歩約5分
- 明治27(1894)年11月27日、松下幸之助創業者は三男五女の末っ子として和歌山県海草郡和佐村千旦の木に生まれました。
- 地域の旧家で、4年間この地で過ごしましたが、父親が米相場で失敗破産したため一家で和歌山市本町1丁目に転居し下駄屋を始めました。
【2.和歌山市内への移転 】
- 明治32(1899)年 幸之助氏 4歳
- 本町1丁目 幸之助創業者の父・政楠さんが営まれた下駄商が存在した場所は『京橋~ぶらくり丁』の間になります。
- 住まわれていた場所は雄尋常小学校に通われていましたからお店の場所とは違ったようです。
- 下駄商は僅か1,2年を経ずに店を畳まざるを得なくなりました。父親は大阪へ行きます。
- ぶらくり丁は江戸時代から続く和歌山市中心で一大繁華街です。徳川御三家の城下町だった和歌山は明治時代全国有数の大都会でした。
- 鉄道施設、産業振興も早かったです。
【3.南海鉄道・紀ノ川駅 母親との別れ 】
- 明治37(1904)年 幸之助氏 9歳
- 雄尋常小学校修了を4ヶ月残して中途退学。
- 明治37年(1904)年11月23日、10歳誕生日を4日後に控えた日、単身大阪に向かいます。
- 南海鉄道 紀の川 橋梁は、前年の1903年架橋、和歌山市駅まで南海鉄道は開通していました。
- 北島橋を渡って、母親と別れを惜しみながら渡り、紀ノ川駅に行ったのでしょう。(現在の南海電鉄・紀ノ川駅とは場所が若干違います)
- 駅で、母は、大阪へ行く乗客に、「幼い子どもですが、あちらに着けば、父親が迎えに来ていますので、どうか途中よろしくお願いします」と懸命に頼んだとのことです。
和歌山市禰宜 高積神社に寄進なされています。
【資料】
松下幸之助創業者が、生誕地近くの『高積中学校』校歌を作詞しています。昭和54年(1979年)
- 高積山の峰青く 布施屋にそびゆ学び舎に
素直な心感謝にみちて 共に学ばん
共に学ばん われら高積中学校 - 宮井のほとり水清く 歴史の流れとこしえに
日本の心正しく直く 共に励まん
共に励まん われら高積中学校 - 紀州の里は世界につづく たちばな香る外国に
積極果敢勇気にみちて 共に進まん 共に進まん
われら高積中学校***********************************
千旦から和歌山市内へ向かう途中、「八軒屋」の農家で休憩した時、
ふるまわれた『一杯のお粥』の味を、生涯忘れることがなかったといわれています。
(明治32年)
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松下幸之助創業者、和歌山城紅葉渓庭園内に茶室『紅松庵』を寄贈しています。
昭和48年(1973)
【参考資料】
- 松下幸之助ウォーク in 和歌山 平成30年3月31日
主催: 南海電気鉄道(株)和歌山支社
後援: 和歌山市
協力: パナソニック(株)(株)PHP研究所 (株)ウイング - 私の生き方考え方:実日新書 松下電器会長松下幸之助
- 血族の王 松下電器とナショナルの世紀:新潮文庫 岩瀬達哉著
- 松下幸之助の生涯
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