ディープな奈良町 2021.11.17

素晴らしい秋晴れの下、市民コラボイベントの下見のため、ボランティアガイドの方々と巡った少しディープな奈良町スポットの写真と少し詳しい説明(写真の後に掲載。関心のある方はどうぞご覧ください)をご紹介いたします。

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《写真の説明》(注:ネット情報も参照して作成しましたが、諸説存在するものもあるようです)

①京終(きょうばて)駅:平城京の終わる場所であったことが由来。かつては「奈良安全索道」というロープウェイが運行され、特産物・農産物を運ぶための発着駅だったそうです。
②誕生寺:中将姫の生誕地。境内には産湯に使ったといわれる井戸が残っているそうです。
③徳融寺:父・藤原豊成(不比等の孫)の邸宅跡。當麻曼荼羅で有名な中将姫ゆかりのお寺です。境内には藤原豊成と中将姫の供養塔があり、中将姫が継母に折檻されたとの伝承が残っています。
④元興寺(塔跡):江戸時代末期に炎上し今では基壇と礎石が残っているだけ。かつては興福寺五重塔のような高い塔が建っていたそうです。啼灯籠は鎌倉時代の古い石灯籠。江戸時代に譲り受け自宅に設置した伏見の呉服商人が連日鳴き声・家鳴りがするため恐れをなし元興寺に返納したという伝説に由来。
⑤鐘馗(しょうき):奈良や京都の町屋に良く据えられている飾り瓦。屋根の上や戸口などに祀り、悪魔祓いをしたという疫病除けの神様。
⑥不審ヶ辻子(ふしんがづし):元興寺に鬼が出没した時にお寺の小僧さんが鬼を退治するために追いかけたが鬼の姿を見失った場所がこのあたりで、それにちなんで呼ばれるようになったとのことです。
⑦庚申堂と庚申信仰:人の身体には頭・腰・足に「三尸(さんし)の虫」がおり、60日毎の庚申の夜に身体から抜け出し、天帝に悪行の告げ口をされると寿命が縮まるという。そのため軒下に猿に似せたぬいぐるみ(「身代わり猿」)を吊るし魔除けのお守りにしているそうです。
⑧鎮宅霊符神社:「笑う狛犬」がいる陰陽師(おんみょうじ)ゆかりの神社。陰陽師は時間と暦を司り、江戸時代を中心に奈良暦(南都暦)が作られていたそうです。
⑨菩提院大御堂(十三鐘):習字の手習いをしている時にあやまって春日神鹿を殺した少年(三作)を石子詰めの刑(石や瓦で生き埋め)に処したと伝わる塚がある。
⑩采女神社:帝の寵愛が薄れたのを嘆いて猿沢池に入水した采女の霊を祀る神社(猿沢池の西のほとり)。身を投げた池を見るのが辛く、社殿は一夜にして池に背を向けたと言われています。

(2021.11.17 小西 宏明)

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