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第75回「京都・学ぶ会」小野村 勇人様 [(有)彩色設計 代表]講演報告

 2024年7月29日(月)に、第75回目の例会(講演会)をラボール京都で開催しました。今回は、小野村勇人様に「文化財修復事業による海外交流」と題してご講演をしていただきました。小野村様は、1961年尼崎のお生まれで、御年63歳です。小さいころから絵を描くことは好きでしたが、小・中・高はサッカー部一筋でした。高校時代にお世話になった先生が日本画をされていて、先生の勧めで嵯峨美術短期大学(現嵯峨芸術大学)に進学され、日本画を学ばれました。卒業後、西陣の帯の図案を描く仕事につき、ひたすら先人の作品群を参考に意匠(デザイン)を起こす作業を10年間されました。その後、糸偏業界の衰退もあり、知人の紹介で文化財の修復をしている「さわの道玄」に入社され11年間勤務され、図案家だった能力を生かして建築彩色へと転身して行かれました。2003年に独立されて現在の会社を立ち上げらました。事業内容は、文化財及び社寺建造物・美術工芸品の保存修理・修復。仏画・絵画・彩色・漆塗り・金箔・単色塗り(チャン塗り)などの伝統工法による調査、修理、復元、模写、新規制作。文化財の修理、修復に関わる設計・企画・施工になっています。従業員数は7名です。
 経歴書に挙げられた工事経歴は、国宝、重文、府県市指定文化財、更には世界文化遺産の著名な神社仏閣や史跡が並んでおりまさに壮観です。今回は、海外との交流に的を絞って紹介されました。第一はモンゴル国との交流です。2009年に東京文化財研究所からワークショップの依頼があり、日本の建築彩色の指導を行うため現地に赴き、モンゴル国立文化遺産センターとタイアップして墳墓壁画の調査から始まり、壁画の模写を行い復元図を起こすこと、顔料分析による使用材料や用いられた道具の特定などを2017年まで掛って取り組まれました。墳墓を開けた後の保存状況によるカビ問題や色彩の損傷に対しては、先ずは調査記録を取り、保存方法や活用については慎重かつ的確な保存方法にする必要を強く訴えられました。それら一連の経過は全て映像で撮られ、貴重な資料にもなっています。その後も、2010年からの中国の敦煌(莫高窟・揄林窟)、西安(兵馬俑)、新疆ウイグル自治区・トゥルファン等。2016年-2023年までのインドとの交流(ムガンダ・クティ寺院の壁画調査・試験施工・保存修理)、更には首里城修理(2010~2018年)時に、唐油彩色(桐油彩色)を行う際に、台湾にしか残ってない技術の指導を受けに台湾に行かれた際の交流等、丁寧に記録された映像(動画も含む)を駆使しての説明には、感動を覚えました。説明の中で、モンゴルの野外テント(ゲル/パル)での不便な生活(水なし、電気なし、トイレなし)や天空の満天の星の凄さなどのエピソードも心に残りました。
 京都は元々日本の中心であり美術・工芸文化の盛んな土地ですから、この分野に携わる高い技術を持つ職人の数も多く、職人を支える道具屋、材料屋は勿論、問屋・お客様(寺院)も多いので、仕事に掛る時間や費用に対して理解があります。その反面、美術・工芸に対して厳しい目を持っている怖さもあるとしながらも、京都は伝統産業を行うに当たり、材料の調達や仕事や職人の情報を得るにはこれほど恵まれた土地はないと思うと話されました。
 最後に小野村さんは、我々の事業は文化財の保護及び修理につぃて、後世に伝えてゆく修復技術の研究と練磨、そして制作活動を行うことであり、世界中の文化財に向けて、それらを広げる事業体として活躍することを目標にしてますと力強く語られました。一方で、経営者の立場から、このような事業が採算収支がきっちりと取れるようにすることと、後継者の育成にも力を入れて行きたいと決意を述べられました。説明に使われた映像資料も大変良くまとめられていましたが、取り組まれた仕事を報告書(資料)としてまとめて、伝承することの重要性も訴えられました。機会があれば、続編を是非お願いしたいと思いました。今回スタッフの一人である山本真由美さんが随行して頂きました。小野村様の講演とそのお仕事に対して、感謝と御礼の拍手を送りました。
当日の出席者数は、37名でした。

 

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