2020年7月27日(月)に、ラボール京都・第12会議室にて、鵜飼 均様(亀岡市文化資料館館長)に『謎多き武将 明智光秀の実像を探る』と題して、ご講演をしていただきました。
コロナ禍の影響で、3月と5月の例会が中止・延期となったため、1月以来の開催となりました。コロナ対策を十分にして会員38名が出席しました。
今年の話題の一つであり、大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公である、明智光秀について
1.光秀のイメージは?
2.光秀のプロフィール
3.資料に登場する光秀
4.光秀の人物像を探る
に分けて、色々な史料を使って(映写)お話ししていただきました。
小・中・高の歴史の授業ではしっかり習っておらず、信長を本能寺で討った逆賊というイメージが強く植え付けられていますが、本能寺の変の後に農民の竹槍によって致命傷を負い、無念の自害を遂げたことから、なぜ信長襲撃を決意したかを語る時間がなかったせいもあり、敗者である光秀の心の深奥は想像するしかありません。本能寺の変の原因説は沢山ありすぎますが、「暴君討伐説(信長非道説)」が一位にランクされていますが、そのほかの史料(書状や日記など)にも、興味深いものが残されています。
光秀のプロフィールですが、出自、父母、生年、生誕地が不明であるため、光秀を一層謎めいた人物に仕立てあげています。近年発見された史料に登場する光秀を追いかけますと、医学の知識があったとか、信長の家臣で最初の城持ちで築城の技術を有し、部下思いであるとか、義昭と信長に両属していたとか、京都代官としての活躍とか、いろいろと面白い面が見えてきます。信長から超絶賛される有能な家臣でありながら、一方で常に戦の第一線に駆り出されていました。またルイス・フロイスから見た光秀は、裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあり、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人と評されています。
「麒麟がくる」は8月30日から再開されますが、この後光秀がどのように描かれていくのか、まさに興味津々です。
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