ブログ

台湾松下電器(TAMACO) 訪問記


県北地区 中島昌己

事の発端は今年2月に開催した県北地区の新春懇親会の2次会でした。
旧但馬松下電器のFBT(フライバックトランス)をTAMACOで生産していましたが、90年代の最盛期に関与したメンバーが、もう一度行きたい、との話しで盛り上がりました。
日程を11月初めに決めてチケットは直ぐに手配できましたが、台湾から中国のアモイに生産移管してから20年以上経過し、誰もTAMACOとの伝手が見つけられません。
そこで登場したのが松愛会のシルバーパワーで、神戸東部支部役員をされていた氷見さんからTAMACO OB会ルートを辿り、電脳の本幡さんから現役の宮原副事業部長様に繋がりました。

●11月2日:出発と市内観光
6時に合流して5人が2台の車に分乗し、関空からJX便に乗りました。桃園空港で両替しましたが、レートは4.8倍ほどになっていました。25年前は3.6~3.8倍と記憶しており、残念ながらそれだけ円が目減りしたことになります。以前はあちこちにあった街の両替屋さんは無くなっていました。
台北の街並は歩道の段差が無くなって歩き易くなり、檳榔(ヤシの実ガム)も屋台の名残りだけで実物は全く見かけず、黄色いタクシーはへこみが消えてカーナビとスマホが完備されていました。
片言の北京語や但馬訛りのシンガポール英語も混じって、怖いもの無しで店のオバちゃんや運転手相手に価格交渉です。森林北路という通りを挟んだ日本人の歓楽街はそのままでしたが、昔のお店は残っていませんでした。

●11月3日:市内観光とTAMACO訪問
定番の行天宮からスタートし、龍山寺の次は忠烈祠の衛兵の交代式を見学しましたが、1時間まばたきせずに直立不動を保つのはいつもながら感心です。
昼は鼎泰豊の小籠包でしたが、アツアツにかぶりついて、肉汁で火傷しそうになった人がいたようです。米粉や空心菜も美味しかったです。
台湾碑酒は控え目にしてTAMACOに15時に着きましたが、総務をされていた陳さん、頼さんが残っておられて、暖かく迎えて頂きました。第6大棲の2階にFBT工場があり、エポキシ注型機が設置されていましたが、整然としたエアコン工場に変わっていました。でも玄関や2階の入り口は以前と変わらず懐かしかったです。

●11月4日:高雄観光
台湾高鐵が高雄(左營)まで1時間半で走っており、N700S系が導入されて、乗り心地も新幹線と全く変わりませんでした。昼食は黄魚を頼みましたが、揚げて甘辛く煮込んで、高かったですが美味しくて絶品でした。
タクシーに乗ってからスマホが無い、と騒ぐ人が1人。引き返しかけたがズボンからはみ出て、後部座席の間で見つかって、事無きを得ました。最後の夜は但馬出身で、商社から台湾大学に海外留学しておられる方も加わって大宴会てす。台湾碑酒は飲み易くて、1ケースが空きました。

●11月5日:帰国
以前は紹興酒で沢山カンペイしましたが、今回は全く飲まずで空港の免税店で自分用を買い求めました。ついでに6本入りの台湾碑酒が140元(672円)を見つけて持ち帰りました。帰り道は次は何処に行こうか、で話が盛り上がりました。台湾は以前とは比べ物にならず、綺麗で落ち着いた国となっており、間違っても香港の二の舞にしてはならないと感じました。

行天宮のスナップ

TAMACOの第6大棲

台湾高鐵

台湾碑酒で大宴会

黄魚

忠烈祠の衛兵交代式

 

(記 県北地区 中島昌己)

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP