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1.17のつどい 2024

芦屋市の岡﨑です。
今年も、1月17日に神戸の東遊園地で開催される、阪神淡路大震災犠牲者の鎮魂イベント『1.17のつどい』に参加しました。
私が、1.17のつどいに参加するきっかけとなったのは、定年後に入会した松愛会が、「1.17のつどい」で使われる竹灯籠を作って寄贈しているのを知ったことです。

前日の準備状況。 大勢の学生ボランティアが、 竹灯籠を並べてくれていました。

松愛会の竹灯籠を探し出し、小生も、配列の調整をさせてもらいました。

あの日、40歳の誕生日に命を拾わせてもらいました。
震災当日、単身赴任先へ移動すべく、阪神高速道路に乗って間もなく、きつい揺れで前後で道路が崩落する中、フルブレーキで停止して間もなく、後ろから大型トラックに追突されましたが、運良く、怪我一つなく、無事でした。
奇しくも、40歳の誕生日の早朝でした。
車を高速道路の上に残して降りたため、翌日に警察に相談に行くと、「保険のこともあるから、とりあえず、現場写真を撮っておくのが、ええな」との無茶振り。
仕方がないので、2日後、再び現場へ上がって撮影しました。

大型トラックに追突され、10m以上、突き飛ばされました。 左の白い車が、自車です。

後ろから迫るトラックに気づき、身構えたため、車の損傷も少なく、ケガも逃れました。

停車位置の数十m後方は、路面がV字型に崩落。 数秒遅ければ、 車は、大破していたかも?

追突して来たトラックは、この段差で前輪がバーストし、制御不能だったとか。

東側前方300mほどの桁の崩落地点を避けて来た車で、いっぱいです。数十m後方は、上の写真のとおり、V字状に落ちています。

小生が追い越しをかけたトラックは、急停止のトラックに突っ込み、運転席が…

トラウマを越えて
それから毎年、誕生日が近づくと、TVでは、ニュースや震災関連の番組が嫌でも目に入り、高速道路上で見た悲惨な光景が思い出されて気持ちが沈んでいました。
その後、震災から20年余り経ち、フラッシュバックも薄れて来た頃、松愛会の活動に参加してみようという気持ちになり、竹灯籠作りに参加することにしました。
そして、1.17のつどいの情報もチラチラし始めると、作った限りは、灯籠に灯を入れて、黙祷を捧げたいとの思いが強くなり、1.17のつどいにも参加しましたが、そこで、1.17 の文字の形に並べられた2000本近くの竹灯籠中から、偶然にも、「松愛会 兵庫西支部」と墨書きされた一本を見つけることが出来、灯入れして、写真を提供させて頂いたのが、初参加のことでした。
以来、高速道路上の間近で犠牲になられた方へのお弔いの気持ちも込めて、毎年、竹灯籠づくりと、1.17 当日の灯入れに参加し、震災発生時刻に合わせて、黙祷させて頂いています。

東遊園地の片隅に永久点灯されている「一・一七 希望の灯り」。竹灯籠へは、ここから分灯されて点火されます。

「希望の灯り」前での分灯式を経て会場へ運ばれたカンテラから点火用のローソクに火を頂き、各人のローソクへリレーしていきます。

5時の分灯後、参加者各人の点火によって、黙祷が始まるころには、全部の竹灯籠に、灯が入ります。

昨年から、竹灯籠の 1,17 の文字が少し縮小され、代わって小中高生がメインで作製する紙灯籠が、明るさを与えてくれています。
今年描かれた文字は、「ともに」で、元日に起きた能登半島地震への支援の思いも込められました。

紙灯籠で描かれた、『と“も“に』の文字。

紙灯籠には、「石川県」「能登」の文字。

協力団体名に『パナソニック松愛会兵庫東西支部』と、掲載されていました。

(文・写真 岡﨑正敏)

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