【くらわん会2月例会】尼崎周辺(史跡探訪)
通算332回例会として 2024年2月6日(火)実施
報告:2024/2/ 7
本文追加:2024/2/15
〈行程〉JR神戸線・尼崎駅(集合) ⇒ 長洲天満宮神社 ⇒ 吉備彦神社 ⇒ 大物公園(昼食)⇒ 残念さんの墓
⇒ ユニチカ記念館 ⇒ 阪神電鉄・旧尼崎発電所 ⇒ 櫻井神社 ⇒ 尼崎城 ⇒ 阪神・尼崎駅(解散)
〈距離〉 約 6km
〈当月世話役〉 永井(リーダ)、小野田(サブリーダ)、吉川(HP担当)、進藤(MAP担当)
〈参加者数〉 63名
今回のコースは、初めてのコースで「尼信」「阪神」などでが有名な「尼崎」です。JR尼崎駅に10時集合です。今回は63名の参加です。
尼崎駅から1kmほど歩くと「長洲(ながす)天満宮」に到着し、お参りしました。「長洲天満宮」創建の伝承として、菅原道真が「太宰府」へ左遷される道中、道真は長洲の浦に舟待ちをしており、村人は道真より「人知れず移る涙は津の国の長洲と見えて袖とぞ朽ちぬる」の歌と自画像を賜り、村人が道真の没後に、その徳を慕って祠(ほこら)を建て画像を奉斎(ほうさい)[神仏をつつしんで祀まつること]したと残されています。
次に東へ300mほど進み「吉備彦(きびひこ)神社」は、吉備真備が祭神です。境内には貝塚跡があり、昭和36年の発掘調査で、土器、瓦などの遺物が出土しました。現在、市の遺跡(金楽寺遺跡)に指定されています。境内社には稲荷社もある。
次に「長洲天満宮」に戻り、右折し、昼食場所である「大物(だいもつ)公園」へ向かいます。昼食には少し早かったので、先に「残念さんの墓」へ立寄りました。この墓は「長州藩士・山本文之助」の墓です。禁門の変で敗走途中に捕らえられ、取調中に自決しました。死に際に「残念、残念」と叫んだと言うので、「残念さん」と呼ばれているそうです。
大物公園の南にある「小田南公園」は、工事中で、阪神タイガースのファーム施設が、2025年2月にオープン予定だそうです。「大物公園」で昼食を済ませ、一次解散です。
阪神電車の高架下をさらに400mほど進むと「ユニチカ記念館」の到着です。「ユニチカ記念館」は水曜日のみ開館のため今日は「休館」です。この記念館は、ユニチカの前身「尼崎紡績」の本社事務所として1900年に建設された。レンガ造りの2階建てで、上部がアーチ状になった縦長窓や煙突、車寄せなどが特徴で、近代化産業遺産で、県の景観形成重要建造物に指定されています。
「ユニチカ記念館」から西へ進み「尼崎城」へ向かいます。途中は「大物緑地」です。「大物緑地」は、昭和半ばまで「大物川」という川で、どす黒くよどむごみの川だったそうです。また大物は源義経と弁慶が頼朝の追討を逃れるため船出したと伝わる場所です。
「尼崎城」に到着すると「ABCテレビ」「newsおかえり」の火曜日18時台「なんでやねん!?」コーナー(河合郁人×古川アナ)のロケ中でした。「尼崎城」前には、レンガ造りの「阪神電鉄 旧尼崎発電所」があります。
さらに「櫻井神社」は、1882年に尼崎藩主松平氏の祖、桜井内膳正信定を祭神として、旧藩士の有志が旧尼崎城内の西大手橋東詰に建立し、その後国道43号線敷設のため1961年に現在地に遷宮しました。境内には尼崎城の九曜紋入りの瓦が保存されていました。櫻井神社の瓦には、桜の花がデザインされていました。
最後は「尼崎城」の見学です。明治維新とともに取り壊された尼崎城跡に、家電量販店旧ミドリ電化の創業者・安保詮氏が「創業の地に恩返しがしたい」と、約12億円の私財を投じて尼崎城天守を建設し、尼崎市に寄贈。また「一口城主」や「一枚瓦」などで寄せられた寄付額は約2億円にものぼったそうです。ここで解散し、帰宅しました。
<写真撮影:吉川、松島 HP作成:吉川、松島>
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