第270回くらわん会 2018年11月例会

Panasonic 創業の地(創業100周年)

270回 くらわん会例会 2018年11月6日(火)

〈行程〉大阪メトロ中央線・九条駅 ⇒ 九条東公園(集合) ⇒ 安治川トンネル(源兵衛渡)⇒ JR.西九条駅
 ⇒ 新家公園(休憩) ⇒ 海老江公園(昼食) ⇒ 大開公園 ⇒ 創業の地 ⇒ 野田阪神本通商店街入口(解散)
〈距離〉約6.5km  〈参加者〉 99名

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◆九条東公園に集合

 1996年6月にスタートした「くらわん会」も20年以上も回を重ね、今回は区切りの270回。行先は3回目の『創業の地』であるが、今回はパナソニック創業100周年の記念年でもあり、相応しい場所でないだろうか。
 その集合場所は地下鉄中央線 九条駅の近くの九条東公園。早朝の秋雨も天が味方したのか、定刻の集合時間10時頃にはすっかりと晴れ渡り、健脚自慢の99名が参集した。早朝の雨が参加者数に悪影響を与えたのが残念であったが…。

 いつものように会長から挨拶、多数回表彰(安藤様・瀬井様/共に75回)があり、その後、今回担当の葛城リーダーより今日のコース紹介、次回担当の永井リーダーより次回のコースの吉田山の注意事項などの説明、 続いて中島さんの号令の下(注意一秒・怪我一生ではないが)全員で準備体操を行い出発した。最初に目指すのは約1km先の阪神なんば線北西方向の「安治川トンネル」。道中に大衆演劇の小劇場などもあり、町の印象として庶民的な感じがして気分的にはホッコリ。

◆源兵衛渡・安治川トンネルを潜る

 「安治川トンネル」前の交差点に「源兵衛渡」という交差点がある。[ゲンベイワタシ]と読むのが妥当と思われるが、どういう訳か?だが道路標識は[ゲンペイワタシ]となっていた。
 トンネルの入口と出口には地下道に通じる階段と、自転車・歩行者専用のエレベータがある。以前には車両用もあったが1977年に閉鎖されたとのこと。どちらを利用するかは好みであるが、上り階段は100段近くあり勾配もきつい

流石の健脚者もエレベーター利用者が圧倒的に多かった。トンネルを出ると大きなコンビニエンスストアがあり、買い忘れた弁当や早々とアルコールを求めに走る人の姿も。
 約400m先のJR西九条駅まで往き、大阪環状線の高架下を右折、風情のあるガード下の飲み屋街を北東方向に抜けると野田6西の大通りに出る。暫く往くと大きな野田6の交差点を左折、吉野、大開、海老江に通じる大通りに出る。

◆「新家公園」・「第二工場跡」・「海老江公園」

 吉野交差点までのほぼ中間点で、野田中学校の隣にある「新家公園」で最初の休憩をとる。1時間近く歩き通しだったため、僅かでも休憩がありがたい。公園から再び大通りに出て海老江交差点を目指して北上する。途中、左手に「第二工場(ランプ組立工場)」・(1925年(大正14)~1934年(昭和9)・「ナショナル」の商標を使用した角型ランプを生産)があるも、 跡地には「初井製本」の工場があり、壁面に由来の記載された写真入り記念プレ-トを残すのみで、当時の面影は残念ながらもはやない。

 阪神電鉄本線の高架下の交差点を右折。東に向かって暫く往くと昼食場所の「海老江公園」。下見の時には台風21号の直撃で倒木も多く見られたが、流石 日本人? すっかり整理されていつもの憩いの場に変身していた。
 昼食はいつもの二大グループと数人ずつのグループが三々五々固まり、秋晴れの中楽しいひとときが流れた。今回は距離の関係で時間的に余裕があり、いつもより会話も弾んでいるような気がした。

◆創業の地を巡る

 阪神電鉄高架を再び潜り抜けた所が大開公園。1929年(昭和4)5月にこの地に「第二次本店・工場」を竣工した。
公園の一角の入口正面には、紀州で代表される緑泥片岩(りょくでいへんがん)で建立された「松下幸之助創業の地」記念碑がある。記念碑の題字は創業者のご長女、松下幸子様の揮毫により刻まれたものである。 ちなみに記念碑の裏の「道」の文字は創業者の直筆である。銘板に刻まれた名前を感慨深く?眺められている人も多く、そこでPanasonic創業100周年(くらわん会270回)を記念して2グループに分かれ記念撮影を行う。
 200回達成第1号である、山本和義さんの母校「西野田工科高校」のフェンスには、「創業の家」(1918年(大正7)3月7日に「松下電気器具製作所」を創立)跡の写真入り記念プレートが残る。
創業の頃、通ったとされる「銭湯」の壁には「第一次本店・工場(後に第四工場)」(1922年(大正11)~1936年(昭和11)跡の写真入り記念プレートが大きく掲げられていた。

現在は普通の民家に建て替えられたりして,昔の面影を残すものは写真入りの記念プレ-トぐらいで一抹の寂しさを感じるが、過ぎさりし100年の歴史は重い。
創業者の長女幸子様が通った「大開小学校」前を通り、「野田阪神本通商店街(通称:なにわの出世街道)」を往く。 旅の終わりは買物が通常パターンであるが、今回は帰宅乗車駅が3箇所と多いこともあり、買物姿を目にすることは少なかった。そうした中で、和菓子屋長栄堂の「道」の焼印が入った「みかさ饅頭」を求めて、店先に並ぶ姿もあった。 野田阪神本通商店街のアーケード入口には「松下幸之助 創業の地 記念碑」の看板も掲げられている。地元の「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会や大開連合町会の人達とパナソニックの絆が今も強く結ばれていると強く感じて、 快晴の秋空のように心爽やかな気分で帰途についた。

注:詳しくは参加者に配布された、[福島区「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会]発行のパンフレット参照

取材及び撮影:徳田、松島、梅原 編纂:梅原

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