上ノ太子駅から竹ノ内街道を経て、河内ワイン館へ
257回 くらわん会例会 2017年10月3日(火)
〈行程〉近鉄南大阪線・上ノ太子駅 ⇒ 飛鳥川沿いの葡萄園(休憩)⇒ 竹ノ内街道・月読橋(休憩)
⇒ 河内ワイン館(試飲・農園見学・醸造所見学・昼食)⇒ 石川河川公園(休憩)⇒ 石川堤防下沿い
⇒ 臥龍橋東詰め(休憩)⇒ 歴史の道(竹ノ内街道)⇒ 白鳥神社(解散)⇒ 近鉄南大阪線・古市駅
〈距離〉約7km 〈参加者〉 103名
◆近鉄・南大阪線「上ノ太子駅」前に集合
今日のコースは京阪沿線から離れ、近鉄・上ノ太子駅からのスタート。JR天王寺駅で近鉄に乗り換えるのに戸惑う人も多かった様だ。昨日からの雨模様も今日は一休みの様で、一応準備している雨具の出番もなく一安心である。
駅の南側にあるロータリー中央の島状の広場に、103名の参加です。会長の挨拶、多数回参加者の表彰、新入会員の紹介、本日のコース説明、次回のコース紹介の後、準備体操は狭い場所のため省略して出発となった。
◆飛鳥川沿いの農道を北上し「竹内街道」を経て目的地へ
駅前広場の南西側から農道を辿り直ぐ右折し、近鉄南大阪線の下のガードを潜って国道166号線(竹内街道)に出て集落の中を西北に向かう。竹内海道は羽曳野市古市で東高野街道と交差し、この辺りから南東に向きをかえ太子町を通過、竹内峠を越えると当麻町に至る。この竹内海道に沿うように飛鳥川が流れており、しばらくはこの川沿いの道を行く。
飛鳥川は太子町大字山田の神山あたりを水源とし、国道166号線に沿って北西方向に流れており、沿岸の地域は通称「河内飛鳥(近つ飛鳥)」と呼ばれている。この地方では清和源氏から出てきた源義家や源義光などの活躍が知られており、頼朝や義経はこの子孫にあたるそうだ。月読橋の近くから集落の中に入り込み、本日の目的地「河内ワイン館」に到着した。
◆『河内ワイン館』に到着(試飲・見学・昼食)
「河内ワイン」は創業者、金銅徳一氏がこの駒ヶ谷で昭和9年に始められ、ワイン文化を花咲かせて来られ、3代目の方が熱心に作り上げてきた「ワイン館」が完成してまもなく今の「真代」専務が会社の経営を引継がざるを得なくなり、12年間は大層なご苦労をされてきたという。
ワインを飲めるように努力しワインアドバイザーの資格を獲得、また人前での会話が苦手なので落語を習い、今では英語やフランス語で落語をこなし外人客も接待されている。桂三枝にもらった高座名は「ロマネ金亭」とのことだ。
今日は大人数での見学のため、ワイン試飲組と工場見学組の2組に分けてスタート。ワイン試飲は「ワイン館」の2階の会場で50名ほど着席でき、3~4人の女性社員が一口サイズのカップで配ってくれ、初めは新酒の「デラウエア」を頂き、次に「ナイアガラ」を飲んでみた。「ナイアガラ」の方が喉越しに良さそうで、土産はこれにしようと決めた。
酒好きメンバーは何度か前席に行き、お代わりで大分赤い顔の人もちらほら見受けた。第2組の試飲タイムでは専務さんのシャンソンのご披露があった様で、後でその話を聞き残念がったことだった。
次いで交代で第一組が工場に向う。工場ではスチール製の大きなタンクと醸造装置の他に、創業時に活躍していた用具や大きな木製樽、またその樽を掃除する人の出入りする入口の模型が置かれており、大人でも器用な人は可能だとのことだ。
工場横には製品倉庫があり、小型の木製樽が十数個きれいに並べてあり、前方の棚にはこれから出荷される製品のビン詰めサンプルが並べられている。部屋の壁は大型木製樽をばらした木材を利用して室内温度を一定になるように管理されていた。
工場見学後は農園のブドウ畑を見学に10分ほどかけて移動した。農園ではブドウ畑には品種によっては垣根状に育てるものと、葡萄の房が天井からぶら下がるやり方があって、それぞれの畑を紹介頂いた。 見学の後は「河内ワイン」のご厚意で「ワイン試飲室」「金食道」そして駐車場広場を使わせてもらい、三三五五とグループに分かれ昼食タイムとなった。
食後はそれぞれ土産のワインを購入した後、午後の部スタートで竹内街道に戻り石川河川公園に向かった。おおさか橋を渡ると近鉄「駒ヶ谷」駅だ。ここで数人帰宅される人もいた。
◆石川河川公園から堤防河川側を「臥竜橋」を経て古市へ
公園は見えているが入口は5分ほど行って、右折また右折して到着した。しばらく休憩の後公園を出て石川に向け歩き出す。府道27号線を少し南下し河原に降りた。 ここからは「臥竜橋」まではスポーツ広場や各種運動設備が設けられ素晴らしい。途中はウオーキング道になっており歩きやすい。
右手の府道27号線下の草叢では早くも秋の虫たちが賑やかに鳴き、くらわん会の我々を応援している。 「臥竜橋」の袂の河原へ下りる幅広い階段には先着した皆さんが、雛壇の様にずらっと並んで待っていてくれた。小休止の後「臥竜橋」で石川を渡り、羽曳野市内を辿りながら最後の訪問先の「白鳥神社」に向かった。
◆羽曳野市内を通り解散地「白鳥神社」へ
白鳥神社は寛永年間末期に、軽里の伊岐谷にあった伊岐宮を産土神として移築したとのことで、現在は大和武尊と素戔鳴命(すさのおのみこと)を祭神としている。
秋祭りには東町・西町・南町・北町・中の町・同之内町の地車(だんじり)が町内を練り歩く様である。全員参拝の後、近鉄の線路を渡り古市駅前で流れ解散となった。
<取材・写真提供>梅原、中野、永井、中溝、松島 <HP作成>梅原