2017年7月27日(木)
<始めに>
今年の社会見学会は2014年度にも実施した人気の“天満天神繁昌亭”での落語会に行ってきました。今回も人気で80名の募集に対し24組のご夫婦を含めて95名もの参加を頂きました。
曇り空で俄雨が気になる蒸し暑い中12時に京橋駅広場に集合後、繁昌亭に向けて移動。開場時間までは天満宮を参拝したり、木陰で暑さを凌いだりとそれぞれの方法で時間を費やしました。その後、一番太鼓の音につられて直接会場に行かれた会員の皆様とともに入場開始、自由席のため少しでも見やすい席を確保すべく微笑ましい席取り競争?が発生する中、13時開演を待ちました。
当日は平日にも拘わらず216席の座席の殆どが埋まる程の人気で、程よく空調が効いたなかで笑いの世界へ出発進行。
◆演目1:落語「金明竹」- 露の紫
骨董屋を舞台とした滑稽話で、店の小僧と客、店主とのおかしなやりとりを描いた古典落語です。主に東京で広く演じられています。
店番をしていると男が「雨のため軒を貸してくれ」と言って店に入ってくる。小僧は「軒を持って行かれる」と勘違いし、傘を与え「返さなくていい」と言って送り出した ・・・
露の紫さんは愛媛県出身で2008年「露の都」の3番弟子として入門。平成26年第9回繁昌亭大賞輝き賞受賞、姫路学院女子短大卒の女性落語家。
◆演目2:落語「桃太郎」- 桂三弥
上方、東京ともに多くの演者がおり短く登場人物も少ないため、他の演目のマクラに用いられることが多い話です。
父親が息子に昔話の「桃太郎」を話して寝かしつけようとするが、息子は「話を聞くことと寝ることは同時にできない」と理屈っぽく反論する。犬は仁、猿は智、雉は勇という3つの德を表す等、息子は論理的に「桃太郎」の解説を試みる。落ちは父親が寝入ってしまい、父親の寝顔を見た息子は「親の寝顔は罪がないな」
桂三弥さんは1971年生まれ、三重県出身で1997年「六代目桂三枝」に11番弟子として入門。神戸学院大学卒のスポーツ系落語家。
◆演目3:落語「親子酒」- 笑福亭竹林
演者も多い古典落語の一つです。酔払いの所作が本物そっくりで会場のあちこちから拍手があがりました。
ある商家に共に酒好きな大旦那と若旦那の親子がいた。息子の酒癖が悪いことを心配し「共に禁酒をしよう」と話しをする。暫くして酒が恋しくなり女房に頼み込み、遂に酒に手を出してしまう。気分が良くなっているところへ酔った息子が帰ってきた。父親が問うと、出入り先の旦那に相手をさせられたと言い、「酒は止められない」と言う。
父親は怒り、女房に向かって「こいつの顔はいくつにも見える。こんな化け物に身代は渡せない」と言った。息子も返す。「俺だって、こんなグルグル回る家は要りません」
笑福亭竹林さんは1956年生まれ、奈良県出身で1980年「六代目笑福亭松鶴」に入門。
◆演目4:バイオリン漫談 – マグナム小林
目を閉じて聞くとまるで本物と勘違いするほどで、バイオリンでいろいろな“物の音”を聞かせてくれました。(救急車、コンビニの入り口、こだま・ひかり・のぞみ号の通過音など)
人の声もそれらしく ・・・ (なんでやねん、ダメよダメダメ、赤ん坊の泣き声等)
タップシューズを履いて頭の後ろでバイオリンを弾くというパフォーマンスも見せてくれました。(証城寺の狸囃子、暴れん坊将軍、クラシック音楽等)
マグナム小林さんは1971年生まれ、千葉県出身で平成6年早稲田大学卒業後「立川談志」に入門。平成12年よりバイオリンによる路上パフォーマンス開始。以来、バイオリン漫談を展開。
◆演目5:落語「いらちの愛宕詣り」- 桂一蝶
「いらち」とは大阪弁で「あわて者」「せっかちな者」の意味で、笑福亭一門のお家芸の一つです。
「いらち」を治すために女房が作った弁当を持って愛宕山に向かうが ・・・
進むうち「何や。どっかで見たような町内やなあ。あれ、あっこで喋ってんのうちのかかそっくりやで」「そんなあほな。うちの人、朝早うから愛宕さんへお詣りにいってるがな」とあっちへうろうろ、こっちへうろうろ ・・・
ようようのことで愛宕山に着き勢いよく賽銭を投げたが財布ごと投げ、「賽銭間違えた、小遣いとられてしもたがな」とおおむくれするが金は返ってこない。家に帰り子供を風呂に連れて行くがそこでも。「お父さん、床のタイルを洗ろてる」が落ち。
桂一蝶さんは1955年生まれ、滋賀県出身で1978年「二代目桂春蝶」に入門。近畿大学卒で、高齢者社会の今日「笑いは健康の元」、笑う楽しさやふれあいを大切にと活動。
◆演目6:落語「永田町商店街 懐メロ歌合戦」- 桂勢朝
キャリア38年とベテランの域。客席の最前列のお客さんとのやりとりがあり、上方寄席の親近感に富んだ寄席風景が楽しめました。
始まった本題は、自作の登場人物全員が歌い倒す歌合戦。そして神戸(集中審議の件)、カサブランカダンディ(都議選の件)、ああそれなのに(今井議員の件)、麻生太郎(戦争を知らない子供たち:漢字を知らない)、森友学園(ブルーシャトー:もりと ・・・ )、話題の政治家等の替え歌が続き、トリは兵庫県議の野々村氏(永田町へ日帰出張、耳をそばだてる)
桂勢朝さんは1961年生まれ、三重県出身で1979年「桂米朝」に16番直系弟子として入門。テニス、懐メロが趣味。
-会場の大きな拍手で仲入りとなりましたー
◆演目7:腹話術 – 千田やすし
5歳の人形“ひかるちゃん”と43年間生活を共にし、幼稚園は“森友学園”、大学は“加計学園”とボケ話からスタート。子供服から阪神タイガースユニフォームに着替え、その素早い着替えの裏技は、服を事前に用意しておき人形の首部分のみ入れ替えるということだった。
千田やすしさんは1955年生まれ、和歌山県出身で1974年腹話術・声帯模写の第一人者「川上のぼる」に師事、3年間内弟子として修業後、1977年デビュー。
◆演目8:落語「思ひ出」- 三笑亭夢丸
落語芸術協会会員で東京の芸人。話し方は歯切れがよくスマートさを感じさせました。
前座から二つ目に上がって、何といってもうれしいのは羽織が着られるようになることだと語って、「しかし着てみると、暑い!」と言って笑わせる。古着屋に着物を売ろうとする奥さん。着物の染みを指摘され安くなってしまう。奥さんはその染みには大切な思い出があるんだと、ひとつひとつの着物にまつわる話を始める。次は主人の羽織、しかし羽織の傷を指摘され安くなってしまうが ・・・
三笑亭夢丸さんは1983年生まれ、新潟県出身で2002年「初代三笑亭夢丸」に入門。2015年真打に昇進すると共に、「三笑亭夢丸」を二代目として襲名した若手落語家。
◆演目9:落語「通天閣に灯がともる」- 林家そめすけ
人情あふれる大阪の魅力を軽妙な大阪弁で演ずる創作落語。
「こんなとこ、通天閣なんか建つわけあらへん。早いとこやめてしまえ」と酔払いの「留さん」が建設作業員の青年につっかかるところから始まる。舞台は1956年に再建された新世界・通天閣。工事を邪魔する留めさんを疎んでいた青年だったが、留めさんが戦争で家族を失い、思い出が詰まった通天閣を見たくないとの思い出を知り、心を通わせていく様子を描いている ・・・
林家そめすけさんは1966年生まれ、大阪市出身で1991年「林家染丸」に入門。平成24年第7回繁昌亭創作賞等を受賞。
◆演目10:落語「遊山舟」- 桂塩鯛
大川に夕涼みに来た長屋に住む二人連れ。浪花橋の上から大川を見ると、行きかう夕涼みの船でその賑やかなこと。
丁度、稽古屋の連中を乗せた舟が通りかかる。見ると碇(いかり)の模様のお揃いの浴衣を着て派手に騒いでいる。喜イさんがこれを見て浪花橋の上から褒める。「さてもきれいな碇の模様」、すると舟の上の女が「風が吹いても流れんように」とイキに洒落で返す。
清やんは女房に言わせてみようと長屋に帰る。きたない浴衣を引っ張り出し、女房はこれを着てたらいの中に入る。清やんは屋根の天窓からこれを見て誉め言葉をかけるという趣向だが、浴衣がきたないので思わず、清やん「さてもきたない怒りの浴衣」、女房「質に置いても流れんように」
桂塩鯛さんは1955年生まれ、京都市出身で1977年「桂ざこば」に入門。平成22年に四代目「桂塩鯛」を襲名。昭和58年ABC漫才落語新人コンクール最優秀新人賞、平成14年大阪舞台芸術奨励賞等を受賞。
【天満天神繁昌亭】概要(Wikipediaより)
大阪市北区天神橋二丁目にある上方落語唯一の寄席で、落語を中心に漫才、俗曲などの色物芸の興行が連日執り行われている、通称「繁昌亭」。大阪天満宮の用地無料提供、「繁昌亭建設募金」等個人や企業の寄付金で賄われ、2005年12月に着工、2006年9月15日開席。劇場内外の天井には、募金をした人々や団体 約4,500件分の名前の書かれた提灯が並べられている。
上方落語隆盛の時代の象徴として語り継がれている「赤い人力車」が復元。3代目桂春団治が乗り、桂三枝が車引きに扮して天神橋筋商店街をパレードした。
<終わりに>
今回の落語会は募集を上回る多くの会員様にご参加を頂き、感謝に堪えません。笑うことは免疫力を高め、ストレスを軽減して病気を防ぎ、健康につながります。松愛会が推進する「爽やかで意義ある人生の基礎となる“健康づくり”活動」に必ずや結びつくものと確信しますので、皆さん笑いを日常生活に取り入れましょう。
腹の底から笑った約3時間の落語会後は皆さん、天満宮の参拝や天神橋商店街の散策、美味しい食事等を楽しまれ、三々五々帰宅の途に就きました。
写真:吉川、中溝、日垣、松島 レポート:徳田 HP作成:冨松