枚方南支部 行事報告
2020年 社会貢献活動
蹉跎神社 清掃活動
開催日 2020年10月4日(日)
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◆ コロナ禍の中を昨年度と同じ38名の方に参加いただきました
地域に密着した社会貢献活動の一環として、今年は南中振の「蹉跎神社」の清掃を10月4日(日)に実施しました。
特に今年はコロナ禍での開催時期になり、実施も心配されましたが、「蹉跎神社」の「例大祭」を来週に控え、神社からも大いに期待され、今年で3年目の清掃活動を継続できました。
2020年度はコロナ禍でほとんどの支部行事が中止になっており、「蹉跎神社」清掃活動が今年初めての屋外行事の実施となりました。昨年度と同数の38名の方に参加していただき、地域に密着した社会貢献活動が継続されて定着していることは喜ばしい限りです。
◆ 番匠枚方市議会議員も参加いただきました
集合時間の9時前は秋の季節の暑からず、寒からずの清掃には絶好の日になりました。今回も来週の蹉跎神社の秋祭り例大祭に合わせた日程となり、宮司さんからも大いに期待されている清掃活動となりました。
9時少し前には38名の会員さんが集合。事前に検温器で念のため、参加者の体温を確認しました。
中島支部長から今回はコロナ禍での今年度最初の会員さんの参加の行事になるということで御礼がありました。また出口に住まれている番匠枚方市議会議員が今回も参加いただいたのを紹介しました。その後、菅支部役員(14班)と担当の溝口支部役員(8班)から、本日の清掃の要領を説明した後、密にならないように2組に分けて集合写真を撮り、総勢38名で清掃活動がスタート。
◆きれいになった「蹉跎神社」の境内、拝殿回り
集まった38名の方は各自思い思いに熊手や竹ぼうきとゴミ入れをもって、境内に散らばり、9時から作業を開始しました。日差しはあまりなかったのですが、やはり一生懸命に清掃活動をしていると暑くなってきました。
10時過ぎまで各人、境内のゴミや落ち葉の回収、草取りと今回参加いただいた6名の女性会員中心に拝殿周りの拭き掃除を熱心に行いました。
今年もゴミや落ち葉をたくさん回収が出来、雑草もすっかりなくなり、境内、拝殿回りは見違えるように綺麗になりました。1時間強の時間でしたが、皆さんはこの成果を見て、汗だくになってやった甲斐があったと清々しい気持ちになられたようでした。
コロナ禍の予防処置で皆さんマスクをして作業をし、終了後はアルコール消毒液で手洗いをしました。1時間強の清掃後に、蹉跎神社からのお礼の品もいただき、解散しました。
◆ 最後に
特に今年は厳しいコロナ禍でしたが、例年と変わりなく、たくさんの会員さんが集まってしっかりと清掃活動が出来たのは喜ばしい限りです。
今回参加いただいた皆様は大変ありがとうございました。支部では今後も、屋外の社会貢献活動の支部行事は開催しますので、皆様のご参加・ご協力をお願いします。
また今回、新任支部役員で初めて蹉跎神社の清掃活動を担当した溝口支部役員(8班)は” 今年度から新任支部役員として、初めての社会貢献活動でした。用具の準備と、受付くらいしか出来ませんでしたが、皆さんのご協力で、無事目的を達成でき、きれいな境内にすることができました。来月に「春日神社清掃活動」もありますので、よろしくお願いします。”とのことです。
◆枚方市 南中振「蹉跎神社」について
『蹉跎神社』 延喜元年(901年)、菅原道真が大宰府へ左遷される途中、山の上で休憩し、都の方を望んで名残を措しんだ。その場所を「菅相塚」という。その後を娘の苅屋姫が追いかけたが、あと少しの所で間に合わず、足摺り(=蹉跎)して嘆いたということから、その山を「蹉跎山」と呼ぶようになった。 大宰府でその話を聴いた道真は、三尺二寸の自身の木像を作って娘に送ったという。
天暦5年(951年)蹉跎山に社殿を造営して木像を祀り、近隣25箇村の産土神としたのが当社の始まりと社伝が伝える。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で社殿は焼失したが神像は無事で、現在地に遷座して中振・出口両村の産土神として再建された。明治5年、走谷村の産土神であった加茂健豆美命神社を合祀して郷社に列格した。現在の社殿は明治22年3月に改築されたものである。
※『蹉跎神社』について詳しくは、当支部作成の『ふるさと枚方発見 枚方の神社 「蹉跎神社」』をご覧ください。
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