はなき たかみち
“ 夫婦2人だけのスペイン1ヵ月クルマ旅!”
枚方市東香里 在住
取材日:2024年10月17日
はじめに
今回紹介させていただくのは、枚方市東香里にお住いの花木 孝道さん(3班)です。
今回の夢中人紹介は、2021年11月にEnjoyShoaiで花木さんから取材をした “ 夫婦2人だけのスペイン1ヵ月クルマ旅!” の内容を第一部作として掲載します。
引き続き、花木さんがスペインの中で一番夢中になった “ ラ・マンチャとドン・キホーテに魅せられて ” の内容を第二部作として追加掲載していきます。
1) 私の生い立ち(生まれ~会社生活)
生まれは神奈川県の横須賀市。その後、教師の父親の転勤に伴い3歳で神戸市灘区に移転したが、戦火が烈しくなり、祖父母の住む本籍地広島県福山市に疎開、終戦直前の1945年4月に国民学校に入学しました。
ホヤホヤの1年生、初登校日に東の空に向かい天皇陛下にご挨拶をしなかったと朝礼台から下りてきた憲兵に殴られ、また、敗戦目前の8月8日に大空襲で実家も丸焼けになり、陛下の玉音放送の日まで山中で野宿でした。隣接の飴屋工場(精糖会社)で貯蔵していた原料のサツマイモ(表面は丸焼けとはいえ中ほどは丁度食べごろの焼き芋)が美味しかったことを思い出します。
終戦2年目の春(3月)に神戸に戻り、父の勤務学校の教室一部屋を間借りしました。授業中に廊下を通ってトイレに行くのはダメと部屋の中に置いた小便用丸桶のクサかったこと。また早朝霜が下りた冬の運動場は格好の遊び場で、誰も来ていない広い校庭で手押し車に妹たちを乗せて気持ち良い汗をかくのが日課でした。
その後、松下電器入社まで神戸に在住。中でも中学時代は剣道に打ち込み、関西では殆ど負け知らずでした。また1960年盛夏に学生仲間と2人で自転車による山陽・山陰周遊の旅を実行。国道2号線といえども舗装されていたのは姫路城前までで、以西はトラックのワダチの跡が生々しく残るデコボコ道路でした。ノークラッチのボロ車に米・飯盒持参の野宿覚悟の暴挙、それでも稲穂の上を吹いてくる爽やかな甘い風に疲れが吹き飛びました。
1961年に松下電器産業(株)に入社し、三国の洗濯機事業部に配属となりました。高度成長期のため入社直後から残業に次ぐ残業。そんな中でも事業部に剣道部を新設・機関誌「松風」(1962年12月号)で対談し豊中地区剣道連盟会長など剣道振興に努めました。
1966年、新設のメキシコ松下電器に出向。この時まで海外渡航は勿論、飛行機に乗ったこともありませんでした。(小さい頃から強い海外志向を持っていて、小学校の卒業文集に「ニューヨークの駅長になりたい」と夢を披瀝、中学2年から今のコロラド州デンバー市近郊に住む米国人女性とペンパルとして文通開始、今も何と70年を超えて互いの家族同士の付き合いを継続中です。)
このように、松下電器での海外との付き合いはメキシコから始まりました。その後、スペイン松下電器、アメリカ松下電器と海外勤務は延べ14年となり、中でもスペインは7年半と最も長く、独裁者の死亡と王政復古という社会動乱期の中で出向者と子供達を含む家族の身の安全確保と既存事業の再建・新規事業の展開など、思い出が強く残っています。
国内は7ヵ所の事業場で勤務しました。内外合わせて10事業場の内4つで生みの苦しみと楽しみを経験し、1998年に本社監査部を最後に卒業を迎えました。
2)定年後、夫婦2人だけのスペイン1ヵ月クルマ旅
70歳になる前に、「元気に暮らせるのは80歳までで、その歳までに何をするか? それを今やらないと、あと10年しかないぞ。」と自問自答し、海外と深い縁のあった者として「海外旅行」しかない。それも点から点への旅行ではなく、線の旅行即ち「クルマ旅だ!」と。
手始めに68歳で、日本と同じ右ハンドルのニュージーランドの南島と北島合わせて3週間旅行を挙行しました。車とホテルの予約、家内のエンジンブレーキでの山下り技術取得など準備したことで、将来の2人旅に自信を持ちました。
その結果、想定より早く2015年にドクター・ストップがかかりましたが、2010年(71歳)から2016年(77歳)までに5回にわたって「夫婦2人だけのスペイン1ヵ月クルマ旅」を、元気に存分に楽しむことができました。1ヵ月を超える旅にすれば航空代金を割安にでき、いつでも現地のどこへでも・どこからでも自由に発着空港を選べます。道中はタブレット一つあればメールのやり取りなども不自由なく実施でき、子供達の安心にも繋がりました。
出発の1年前からルート決定のために観光地・お祭り・名物料理、宿泊地等の調査を開始しました。年齢を考えて連泊が多くなり、時には自炊や山小屋暮らしも行いました。半年前には、人気観光地の入場券・レンタカー・宿泊場所等の予約をし、帰国後は写真の整理と道中の気づきメモをベースに旅行記のまとめなど、5回の旅行記はそれぞれ60~90頁になりました。
出発までの調査準備から、帰国後の写真の整理と旅行記のまとめなどに1年半ぐらいかかりましたが、次の旅行の準備とオーバーラップしながら、これらも楽しくて興奮する至福の時間でした。
これら、2010年から2016年にかけて5回、走行距離 計1万㎞の「夫婦2人だけのスペイン1ヵ月クルマ旅!」に出かけた記録(下表を参照ください)です。
2021年11月に、EnjoyShoaiに「夫婦2人だけのスペイン1ヵ月クルマ旅!」写真集 として投稿しました。
出 発 | 旅 行 先 | 祭り | 走行距離 (㎞) | 旅行記 (頁) | |
① | 2010.5.13 | ピレネー、巡礼の道、サンティアゴ | 聖体祭 | 3,638 | 65 |
② | 2012.4.17 | セビリア、ラ・マンチャ、コルドバ | フェリア(春祭り) | 2,658 | 91 |
③ | 2013.5.3 | グラナダ、アルバラシン、テルエル | – | 2,203 | 89 |
④ | 2014.8.24 | ガリシア、ポテス、ゲルニカ | パエージャ祭り | 1,429 | 83 |
⑤ | 2016.9.28 | カナリア、サラゴサ、タラゴナ | ピラール祭り、人間の塔 | 0 | 61 |
– | 2007.10.27 | ニュージーランド南島・北島 | – | 2,754 | 20 |
佇まいは38年前と同じ ”サント・クリメン教会”
巡礼の道最大の難所、1300mの峠に建つ教会
聖家族教会”生誕のファサード”と3つの門
ガウディ作 2026年完成予定 サグラダファミリア
聖母像が花で飾られていく
20万人の感謝の気持ち
3)スペインの私のお気に入りは
- ラ・マンチャとドン・キホーテ
- ピレネーと巡礼の道
- スペインの祭り の3つをあげます。
中でも特にドン・キホーテに強い魅力を感じています。
何故かというと、ドン・キホーテは夢を追う「正義の味方」だからです。
作家セルバンテスが、騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなった「ドン・キホーテ」が、自らを遍歴の騎士と任じ、「ドン・キホーテ デ ラ・マンチャ」と名乗って冒険の旅に出かける物語で、夢想家の生き方を通して、人間の強さと弱さ、愚かしさと崇高さの両極を見事に描き出した作品で、400年以上を経た今もなお、世界中で愛され続ける不朽の名作です。
理想を追い求める愚かしさを笑い飛ばしつつ、それでも夢を見続ける姿に人間賛歌を捧げる視線が素晴らしく、何より「理想の追求」という普遍的テーマが、現代の私たちにも強く訴えかけてきます。
なお、第二部作として掲載するラ・マンチャ地方でのドン・キホーテの冒険を、私の2012年の第2回の旅で紹介をする “ ラ・マンチャとドン・キホーテに魅せられて ” もご期待ください。
4)なるほどと思った言葉
座右の銘は「山は登るより、下りることの方が難しい」です。大学時代の剣道部仲間たちと桜島に登山をしたときに自ら体験したことからの教訓です。上を見て登るには努力は必要だが、より容易。安全に全員が下山するには、周到な調査と準備が必要で、会社経営や人生の営みの中で「強みが弱みになる」ケースが沢山あると感じたからです。
5)松愛会の活動と抱負
枚方南支部の新春懇親会・年次総会が枚方社員研修所で行われていた2013年までは、ほとんど参加していましたが、その後はしばらくブランクとなっていました。2020年の松心会館での新春懇親会に久しぶりに出席し、皆様と楽しく懇談できました。
また社会見学会行事でも若狭湾・原子力発電所や造幣局、天満の繁昌亭に夫婦で参加し楽しいひとときを持たせていただきました。
趣味の一つである囲碁は、松愛会囲碁部に松心会館で開催していた20年間超、その大半を副会長兼監査役として積極的に活動し、新会館に移った現在は幹事としての務めから下りました。
特にここ半年以上忍び寄る年波に負けないよう、暑い日も雨の日も一日も欠かさずウオーキングに精を出し心身の健康維持とボケ防止に努めています。
最後になりますが、夫婦揃って長く太い人生の頂きから、何等道を迷うことなく無事下山出来るよう祈るばかりです。
<写真提供:花木/取材:中村、祖川/HP作成:祖川>
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