のぐち ちゅういちろう
”健康長寿の秘訣は、各地を旅して、歩いて、ストレス発散!”
枚方市山之上1丁目在住
2020年10月24日取材
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◆1.はじめに
コロナ禍で自粛生活が続く中、感染予防対策をした4人の取材班が山之上の閑静な野口邸を訪れたのは、爽やかな季節の午後であった。奥様の明るく元気な声でお出迎えをいただき、久しぶりの取材活動も楽しいものになる予感がした。応接間に通され暫く家族構成や世間話などをしながら取材風景を撮影後、早速取材活動を開始した。
◆2.プロフィール
- 1938(S13)年、1991(H3)年に幕を閉じた”ひらかた温泉”のあった枚方公園駅近くの山の手 枚方元町で生まれた満82歳。
- 幼少の頃、友達とよく淀川で泳いだり、野山を駆けまわり、草野球・チャンバラ等をして、伸び伸びと育つ。
- 枚方市内でも古い歴史を誇る枚方小学校を1951(S26)年に、御殿山にある枚方第一中学校を1954(S29)年に卒業。
- 仕事の傍ら大阪府立淀川工業高校を4年間通学し卒業。
- 当初は7人家族であったが結婚して54年、今は夫婦2人で枚方市山之上に移り住んで生まれも育ちも大阪の生粋の関西人。
- 息子家族は、神奈川県藤沢市に住み自営業をされている。
- 1954(S29)年松下電器(現パナソニック)に入社、電機事業部の製造からスタートし、品質管理、製造技術、部品材料管理、購買外注管理、製品管理と多岐にわたる業務に励む。
- 購買外注管理時代の元くらわん会・原会長の厳しい?薫陶もあり、今では楽しい思い出である。
- 後半は他事業場(住設・奈良)へ応援で引率者としての業務、単身で兵庫県宍粟市の外注先へ指導のために出向、松下物流(ロジステック)への出向と幅広く仕事をし、物作りからお客様対応まで多くの人脈ができたことは、未だに年賀状を交わす等何物にも代え難い財産となっている。
◆3.現役時代の思い出
- 仕事以外の余暇のすごし方について、華やかな独身時代の楽しい思い出を中心に語る。
- 20歳の頃、先輩と上高地へ旅行、伊勢湾台風の直撃を受け会社を休む羽目になり、1人上司に叱られる。
- これがきっかけで会社の独身女性たちと3泊4日の信州旅行へ。(それ以降10数回も行く、女性たちの信用大)
- 会社(職場)の行事、レクリエーション、友人同士の旅行等の企画・立案・実施。
- 独身時代、年末の餅つき終了と同時に先輩・友人と信州・大山・神鍋へスキーに。(事業部大会で優勝も)
- 野球も子供の頃から草野球でならし、入社後チームを作るもアキレス腱断裂で断念、その後ソフトボールに熱中。
(ノンプロ出身者とのキャッチボール)
◆4.定年後の軌跡
- 1998(H10)年5月モータ事業部で定年を迎え、光陰矢の如しというが、あっという間に20年以上が経過した。
定年後の軌跡を懐かしく振り返りながら箇条書きで纏めてみた。 - 1998(H10)年8月、定年3ヶ月後「くらわん会」に入会、5ヶ月後に「近畿歩こう会」にも入会し、解散まで毎回参加し健脚を誇る
- 2003(H15)年6月、くらわん会世話役を担当(会長:2012年~2015年)
(2020/11現在 くらわん会の歩こう会通算参加回数:243回) - 車で家族や友人と保養所へ5年連続出かける等、観光地巡りを楽しむ。現在も近場であるが免許返上せずデミオを運転中。
- 添乗員やCAより写真やクリスマスカードを送付してもらい、取扱に苦労?されたほろ苦い経験も有る。
- くらわん会仲間の名田さんから東海道などを1人で歩いた話を聞き、近畿一円の歩こう会では物足らず、有志8名で「旧東海道歩こう会」を結成し歩き始めた。
■ 歩いた軌跡(踏破歴)
- 東海道(大阪京橋~東京日本橋) 2002.4~2005.1 34回(泊8回)、約149万歩、650Km 8人
景勝地:静岡 菊川(茶畑から見た富士山)、颯田峠(富士山と駿河湾) - 山陽道(京都東寺~山口下関市) 2008.7~2013.1 47回(泊11回)、7人
印象に残った場所:関門トンネルを歩いて往復、原爆ドーム近くで宿泊。 - 中山道(滋賀草津市~東京日本橋) 2005.8~2015.3 44回(泊13回)、7人
思い出:12月初めの軽井沢~横川の碓氷峠、残雪もあり今にも雪が?、人家もなく尾根伝いに5~6時間歩いた。高崎~京都迄 青春切符で帰る。 - 伊勢海道:(大阪長堀橋~伊勢神宮・内宮) 2004.2~2005.4 8回、8人
思い出:長堀橋から奈良尼ヶ辻 殆ど上りで生駒の暗峠を越え35Kmを1日で歩いたこと。 - 熊野古道:(大阪天満橋~和歌山田辺市) 2007.2~2009.1 14回(泊1回)、7人
思い出:寄り道で幸之助創業者の生誕地を訪れ、海南から有田のミカン山の上り下り等、思い出の一部であるが、一人では歩き通すことは無理でも、気の合った仲間と歩けば疲れも吹飛び、目的地まで完歩した達成感を味わうことができる。
コロナ禍の影響で今までにない新しい生活様式が求められる中、以下のようなことを念頭に生き残りの人生を楽しみたい。
◆5.地域社会に役立っていること
住んでいる山之上校区には、現役時代からの歩こう会(年1回参加200~250名)があった、自治会副会長(2013~2016)をしていたころ行先選定に困って打診があり、丁度「くらわん会200回記念誌」が創られ、それを寄贈し現在も参考に利用し重宝がられている。又その会に参加して楽しんでいる。
◆6.これからの目標
- 仲間と、友人ツアー、青春キップを使い船、列車等を使って、観光地中心にウォーキング、温泉、グルメ等を楽しみたい。
- 今迄以上に友人や家族とともに「湯快リゾートの温泉」を軸にして、ウオーキングや温泉、グルメ等観光を楽しみたい。
- 藤沢市の息子宅を拠点に一人旅を、観光、ウオーキング、グルメの旅を各地に行いたい。(宿泊は東横インの会員権を利用)
- 27年間一日の歩数記録をつけているが、これからも記録して過去~現在~未来とへ歩くことが健康のバロメータと思っている。(ウオーキングは老化を防ぐ)。
- 歩くだけでなく多くの人と知り合い、世の中を知り、実践して健康を維持したいと思う。
- くらわん会の歩こう会も新型コロナで3月から中止ですが、自分に合った運動とストレス発散をして再開に備えたい。
<取材:梅原、吉川、徳田、中溝、HP作成:徳田、梅原>
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