第38回 夢中人紹介  吉川 亨さん

  きっかわ とおる

 

”世話役活動に働き甲斐を感じて半世紀!”

枚方市香里ヶ丘1丁目在住
2020年3月5日 投稿

吉川近影

1.はじめに

 2001年に当支部に「夢中人」というHPが開設され、これまでに50名以上の方を紹介、私も2007年から担当し9名の方の取材記事を作成しました。これまでは趣味活動を主に取材してきましたが、殆どの趣味は出尽くし、取材先を探すのに困ることもあり、近年は「夢中」の内容を拡大し、社会貢献やお仕事他も含めています。今回「世話役夢中人」という少し変わった夢中人ということで、筆者自らの半世紀以上の活動を総括してみたいと思います。

2.世話役活動開始の原点と現況

 松下へ入社(1962年)して3~4年目の頃(26~27才)、顔も知らない高校先輩から突然電話を受けました。当時は独身で大阪市内の実家から門真へ通勤しており、自宅は出身高校の近くにありました。先輩の用件は 「吉川の期は卒業生名簿が不備で卒業時のものしかなく、同窓会新聞を送っても届かない。幹事会への出席も殆どない。何とかならないか‥」というものでした。
 高校卒業後約10年、同期女性の大半は結婚し実家にはおらず、実家から通勤の男性も少なく、戦後の新築ラッシュで実家の移動もあり、連絡が取り難くなっている時期ではありました。
 その先輩は全校同窓会役員で、当家近くにおられ「とにかく一度遊びに来い。ビールでも飲みながら話そう」と誘われ「同期の世話役には伝えます」ということで訪問した所、お互いに気が合って、別れ際には「名簿は私が整備します‥」ということになっていて、これがその後の世話役活動に入り込む最初になったかと思われます。約300名の名簿整備は、芋蔓式に効率よく殆どの方を調査でき、かなりの達成感を得たのを記憶しています。(1965年から週5日制になっていて、時間も取れたと思います)

 高校卒業後16年目に初めて学年会を開催、名簿整備ができていて成功裏に終了。同期生からも恩師からも感謝され、本日まで略3年毎に同窓会継続の出発点となりました。80才で終了と考え、前回に最終宣言をしましたが、乞われてもう1回だけ2021年に開催せねばならない羽目にはなっています。
 松下在職中にも、高校や大学同窓会、同期入社の会のお世話を交代で行っていましたが、毎日が多忙で21時までの残業が続いており、1999年の定年退職後から改めて多くの世話役活動を担当することになりました。現在は(最近の退任を含め)下表の13件に関わっています。

 他の個人的趣味はなく(川柳教室と英会話教室に通っていましたが約10年前に退会)世話役が全ての生活となっています。
 各会の世話役との飲み会等は頻繁に行っていて、ストレス等殆どありません。ただテレビを見るのは食事時間位で、ドラマやスポーツ等は殆ど見てなく、カラオケ同好会で新曲情報を語る為に、夜の歌謡番組は比較的良く見ています。

No. 会の名称 分類 開催頻度 役職名 会員数 最近の参加者数
1 スピーカOB会  職域OB会 年1回 事務局長 200 100
2 スピーカ歩こう会 年2回 担当委員 50 30
3 音響技術OB会  〃  年1回 会長 70 30
4  MACO37会(S37入社) 〃  事務局長 25 20
5 音響研究所OB会(ONKEN会) 元担当委員 80 40
6 大阪府大電気同窓会(S37卒) 学校同窓会 3年毎 会長 35 15
7 府立夕陽丘高校同窓会(S32卒) 〃  事務局長 200 80
8 Qの会(高校時代の親友の会) 年3回 事務局長 15 10
9 ホームページ委員会 松愛会 月1回 事務局員 9 9
10 支部役員ミニOB会 年2回 事務局長 30 20
11 がらくた会(くらわん会役員OB他) 年3回 事務局長 15 12
12 カラオケ同好会 月2回 会長 25 24
13 くらわん会 月1回 事務局長 250 120

 

3.職域OB会世話役について

 私は入社も卒業もスピーカ技術部門で、途中の13年間に新設の音響研究所に勤務しましたが、Technicsスピーカ開発関連の類似の仕事であり、職種や勤務地に大きな異動がなかったことで、生涯の友も多くでき、2002年からスピーカOB会の世話役に就任、2012年から事務局長に就任し現在に至っています。音響研究所OB会も、創設の2002年から2014年まで担当させて頂きました。

<画像をクリックすると拡大し、画像の外を再クリックすると元に戻ります>

4.学校同窓会世話役について

 前述の高校同窓会に加えて、大学も松下卒業後から同期の代表幹事を担当しています。在職中は母校勤務の同期の教員が担当されていましたが、定年退職後に交代を要請されました。

5.松愛会枚方南支部世話役について

 現在最も力と時間をかけているのは、松愛会の世話役です。2007年に地区委員を拝命し6年担当。在任期間中は最年長で、友愛訪問等の班の仕事は手早く済ませ、支部全体の班構成見直しや、各委員の業務均等化提案等、支部事務局的な仕事の方に関心が強く、支部長との議論も多かったことを記憶しています。
 私がホットディスカッションを好み議論は活発になり、時には険悪ムードになることもあったかと思いますが、退任後は1年前に結成されていた「地区委員ミニOB会」の世話役を自然に引受けることになりました。
 2007年開始の料理教室で初代世話役の一人として参加、レポータを担当したことからHPへの関心も高まり、9月にはHP委員へも就任しました。

 HP最初の仕事は西岡夢中人(少年野球監督)の取材と記事制作でした。この時「ホームページビルダー」とうソフトを教わり、(HTMLソースの理解は難しかったですが‥)ページ制作そのものは「Word」と同じ感覚で完成できたことが、以後のHP制作への関所を低くし、現在までHP委員を担当し新技術への挑戦も維持できているかと感じています。
 2010年くらわん会HP担当開始、2011年カラオケ同好会HPを発足時から担当、両会とも活動そのものも楽しく、心身の健康維持に貢献できています。現在カラオケ同好会は会長、くらわん会は事務局長を担当し、当然苦楽はあるものの、今後数年間は続けられると思っています。

6.持続可能な会運営のための世話役活動の要領

 在職中から好奇心は強い方であることが、活動の「バネ」になっていると思われますが、持続的世話役活動の「コツ」的なものを敢えて披露すれば、平凡ですが次の様なことでしょうか。
➀ 活動の原点は正確な名簿にあり、メール未通信・宛先不明による郵便物返送とかに遭遇すれば、遅滞なく別な手段で連絡するとか、当該の方に親しい複数の方に問い合わせます。
 私はメールアドレスや住所確認の為の往復ハガキを印刷し、いつでも出せる様に用意しています。
➁ 会合当日は極力多くの方と話します。最初のテーブルに根を生やしてはいけません。特に初参加の方には初対面でも積極的に話しかけ、その交友関係の情報を得る努力をします。料理をユックリ味わう時間がないのは諦めています。(乾杯は他人より多くなるので、飲めないと務まり難いかも‥)

➂ 世話役にはパソコンに強くない方もおられます。郵送やファクスも活用し、司会や写真が上手なら特技を生かす役を考え、一致協力ムードを維持し、時には世話役としての責務を強く要請することも必要です。
➃ 写真配布は効果的と思いますが、集合写真1枚だけに限定しています。参加者が多い会合では、集合写真は最初に撮り、当日外部ラボでプリントして渡すのが事務処理的には効率的です。会の運営の参考にスナップ写真も撮りますが、参加者への配布は行っていません。
➄ 多くの会合の段取りの基本は同じであり、さしたる苦労はなく、複数の会を並行して行える様に自然になってきます。
 名簿整備⇒企画⇒開催連絡⇒出席者集計⇒開催⇒実施報告
(写真、会計報告他)

◇ 最近の参考文献 「同窓会に行けない症候群」 著者:鈴木信行(日経ビジネス副編集長)、発行所:日経BP、2019年

 この本の見出しは「今日本には2種類の人間がいる。同窓会に行ける人と行けない人だ」で始まり、各々の性格分析が記され、「行けない人々の末路」という章で終わっています。
 多くの人が同窓会に消極的になる契機になったと思われる事情は、➀会社で出世しなかったから ➁起業して失敗したから ➂「好き」を仕事にできなかったから ➃「仕事以外の何か」が見つからなかったから という詳細な解説があります。

 しかしこれはある程度過去のことで、この30年間の経済環境及び職場環境の変化(バブル崩壊、成長鈍化、人口減少)で「孤立化」が進んで、周りに何でも相談し合える友人が少なくなって発生した悲惨な事件例を紹介しています。
 「同窓会に行くための人生設計/同窓会に行ける仕事の条件」という章で、仕事の選択についても提案しています。詳細は原本をご覧ください。

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