”米国ワシントン州に桜を寄贈し日米友好の縁を育む”
枚方市香里ヶ丘8丁目在住
2017年7月25日 取材
1.プロフィール
松愛会大先輩の蔭山さんは、大正14年(1925年)のお生まれ(夢中人取材時年齢では、これまでの最高齢)。丹波(現亀山市)の小・中学校を終えられ、先の大戦末期陸軍経理学校に進み、陸軍士官候補生の道を目指す。戦後、同志社大学大学卒業直前に胸の病に冒され、4年の闘病生活を強いられ、同年配の方より数年の遅れをとる。ここで大学院に入り出直しを図る。
2.転機到来
大学院を終える頃、フルブライト奨学金を受けることができ米国へ留学、MBAを得て帰国、その時年齢は33歳。
3.実業界で活躍(イラン編)
昭和33年(1958年)松下電器貿易に入社、その後中近東、アフリカの輸出販路開拓に携わり、続いてイランにおける指導者として活躍すること約10年、これも当地の「宗教革命」により水泡に帰す。イラン北部の寒冷地では炭こたつを使用しており、赤外線こたつを販売して大ヒットし、寿電機工業の稲井社長と懇意になる。
4.実業界で活躍(アメリカ編)… 米国現地生産の先駆け
イランから帰国して5年、対米輸出課題解決の為(日本の対米輸出増大に対する貿易摩擦)イラン時代の寿電機との縁もあり、稲井社長よりアメリカにおける工場立地と現地生産を命じられる。米国西北部のワシントン州に工場設立、テレビ生産を嚆矢(こうし)に、ビデオ付テレビと順調に推移したが、平成4年(1992年)社長が逝去され、それを機に退社をお願いした。別れの際に貰った「似顔絵と全社員の署名(寄せ書き)」は、「どれだけ恵まれ、嬉しかったことか!」と仰る。
5.現地への恩返し
アメリカ寿電子工業がここまで来られたのは、現地の政・財・学・市民のご協力のお蔭と感謝の意を込め、私財を投じ「100本の桜の苗木」を寄贈した。それから20数年大きく育った桜は市民の憩いの場として、名所となっている。
昨今、米国ではまたもや外国との貿易摩擦が話題になる中、日本企業はいち早く現地生産を拡大、現地雇用増大と進んでおり、蔭山さんの地域貢献に対する数々の表彰をみると、彼が残したレガシー(遺産)は絶大なものであったと思う。
◆バンク―バ市の「桜祭り」の歴史に関しては、社員教育他でお世話になったクラーク・カレッジのHPに詳しく記されています。ここをクリックしてご覧下さい。(英文動画 )
6.地域貢献に対する表彰の数々
アメリカ寿を退いたあと、オレゴン大学・大学院生に”異文化経営論”を教え、その間、大学の理事、大学最高栄誉賞、日本で初のフルブライト賞を受賞した。米国通商代表部(USTR)Carla Hills大使、オレゴン州知事、バンクーバー市長、在オレゴン日本領事館・総領事など多くの方々から表彰を受ける。
最も名誉なことは「日米両国民の永遠の友情を紡いだ」として、2016年(平成28年)ワシントン州知事から「ワシントン州の名誉州民権」に推挙され授けられた。
7.「教えるは、最高の学び」の箴言(しんげん)を実施
近くの教会で若い子供達に、英語の勉強に困らないよう「学校で教えない英語」を蔭山流で教えている。これは「余生最後の奉仕活動」と仰る。
日米親善に尽くした蔭山さんの『My History』がここからご覧いただけます。
<取材:梅原、吉川、徳田、中溝、HP作成:梅原、WP編集:中溝>
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