”新たな水墨画の分野を求め、後進の指導も進める”
枚方市山之上西町在住
2014年9月11日 取材
1.取材訪問
「パナソニック人材開発センター」前を山手に上がった閑静な住宅街のご自宅へ、5名の取材班がお邪魔して色々と幅広い お話を伺いました。
2. プロフィールと動機
1931年(昭和6年)和歌山県ご出身、松下電器へは1953年(昭和28年)入社、配属は本社総務部門(当時は経理・人事も含む)、全国各地の営業所と本社との往復を繰り返されました。その後、山下社長時代 「社員は現役中に一度は海外勤務を…」の方針により、アメリカ松下電器(MECA)へ5年間出向され、副社長を務められました。
絵画には関心が強く、米国在任中の余暇には多くの美術館を訪問されたそうです。帰国後クレジット本部長を最後に、1989年(平成元年)12月に定年退職されました。現役中は余暇としてゴルフにも傾注され(ハンディ10に到達)、数々の入賞記録を誇っておられます。
3. 水墨画を始める
退職後数年間、松愛会監査役を勤められ、その間色々な同好会へ接触、同会水墨画部の中村三四男氏の勧めもあり入部、同氏の手ほどきを受け、1999年の68歳から水墨画を始めらました。さらに我流ではなく、もっと基礎から学びたいと決心されました。
先ずは花鳥画を全国水墨画美術協会理事・葛城 龍枝氏に2年間、山水画を全国水墨画美術協会副会長・陳 允陸氏(関学講師)に11年間、現在は現代水墨画を篠原 貴之氏(京都市立芸大講師)の篠原塾に8年間続けて師事されておられます。活動初期に比較的多くの入賞を得たことが、その後の活動に弾みを付けられた様です。
4.主な受賞歴
- 2001年(平成13年)守口市美術展「終い弘法の市」奨励賞(初めての入賞)
- 2002年(平成14年)第19回全日本水墨画秀作展(初出品)「中辺蕗の冬」佳作
- 2003年(平成15年)第21回全日本水墨画秀作展「釧路湿原の冬」京都新聞社賞
- 2005年(平成17年)第25回全日本水墨画秀作展「古都雨情」特選
- 2008年(平成20年)第31回全日本水墨画秀作展「叡山晨霧」秀作賞
- 2009年(平成21年)第33回全日本水墨画秀作展「薄日さす」特選
- 2010年(平成22年)第35回全日本水墨画秀作展「花開万国春」ギャラリー秀作賞
- 2013年(平成25年)第41回全日本水墨画秀作展「山峡晨霧」ギャラリー秀作賞
5.松愛会水墨画部での活動
松愛会水墨画部の中村講師が、92歳になられた時に後継者指名を受け、2007年1月以来、水墨画部の顧問(兼)講師を担当、今日に至っておられます。最初はお断りしようと思っていたのに、その1週間後に突然脳梗塞で亡くなられ後へ引けなくなり、以後講師になったことが、ご自身の水墨画活動の中で「記憶に残ること」とされています。
同部は、現在20名、毎月2回定例練習日を設け、課題を与えて自らも見本を示し励んでおられます。また毎年2回定期展覧会を開催しており、活動状況、展示作品は全てインターネットにて公開しておられます。<松愛会水墨画部は、ここをクリック> (参考:部員中3名は、”全国水墨画美術協会”会員である)
6.水墨画を志す方への助言と、今後の活動目標
水墨画を好きになり、他にも視野を広く持つことで、熱中できる様になるということでした。取材中にも書道や日本画等にも造詣が深いと感じる所がありました。ただ伝統に拘っていてはならず、筆の文化を基に新しい水墨画の道を切り開こうと日夜努力をされておられます。高齢(83歳)になって、体力・気力の低下を感じることもあるということで、今後は後進の指導に努力することも、意義ある活動と考えておられます。
<取材:梅原、吉川、大熊、石川、倉橋 HP作成:梅原 WP編集:吉川>