”納得するまで日本画を極める”
枚方市枚方元町在住
2013年4月27日 取材
1.取材訪問
住所から明らかな様に、枚方公園駅から北東に枚方市の元となった山間にある、古い町並みのなかにある自宅へ取材訪問に伺った。お宅は「和風パナホーム」第1号として建てられたという築40年とは思えない立派なたたずまいである。
2. プロフィール
1951年(昭和26年)松下電器入社、第1事業部・音響工場に配属され、製造・経理・生産管理・営業を歴任後、創生期であった電子部品事業のトータル情報システムの設計導入を推進された。1993年(平成5年)定年退職され、第2の人生を歩まれることになった。
3. 仕事の中での絵画との関わり
在職中は作品展を鑑賞し感動を頂く側で、いつかは自分も描く側になりたいと思っていた。1980年(昭和50年)に日本画の通信教育(*1)を受けたが、約2ヶ月で頓挫、結局在職中は願望がありながら取り組めなかった。
(*1) 日本美術センター「東京都新宿区高田馬場」
4.絵画の道とその険しさ
定年退職と同時に第二の人生の基本路線を決める。
【その1】在職中に果たせなかった願望を納得往くまで実行する。なぜか日本画を多く見学するうちに勇気と感動を与えられ、自分に見合った感動表現の道具立てであった。
【その2】デジタル化が先行しすぎるが故、先人の生きる知恵を学んで、アナログへの回帰を果たす。そのため仏教を学び、四国八十八箇所遍路(2回)、西国三十三所参り(2回)、富士登山(3回)、伊勢参り歩き遍路を行った。
その険しさは、前者については、日本画を描いて、その作者の意図が伝わるか?感動を得て頂けるか?最高峰に「院展」(*2)があり、公募展に入選できるか?これが大変厳しい。後者については、仏教を学び得たことは、修行は厳しいが、心は晴れる。
(*2) 院展
1898年(明治31年)岡倉天心が、東京美術学校・校長を辞し創立した日本画の展示会を「院展」と呼ぶ。毎年「春の院展」と「秋の院展」があり、全国の主要都市を巡回展示される。古くは、横山大観、下村観山、菱田春草など輩出。今では、小倉遊亀、片岡球子、平山郁夫など輩出。
5.絵画の恩師やサークルについて
・1994年(平成6年)4月、松愛会絵画部「水彩画初心者教室」受講。広瀬禮男先生の指導を1年間受け、終了後、松愛会水墨画部の中村三四男先生の指導を受け、以降12年続く。
・1995年(平成7年)4月、朝日カルチャー中之島の日本画初心者教室を受講、日本美術院・同人の長谷川青澄先生の指導を請う、以降7年間指導頂く。同時に、仏教大学(通信課程)に入学、仏教学仏教美術を学ぶ、卒論は「観心寺如意輪観音座像の造形美と制作仏師に関する研究」
・2002年(平成14年)4月、大阪芸術大学絵画コース(通信課程)に入学、基礎講座終了し専門課程に進むも、日本画の講習はなく退学。
・2005年(平成17年)4月、京都造形芸術大学・日本画コース2回生に編入。卒業制作は「憤怒(興福寺:仁王像)と慈悲(中宮寺:弥勤菩薩)2009年(平成21年)3月卒業。
・2009年(平成21年)7月、日本芸術院会員・日本芸術院同人理事・清水達三先生の指導を請い「碧(あお)の会」に入会、現在に至る。
6.院展以外への出展や社会貢献活動
◇出展活動
- 守口市美術展覧会、1996年8月~2004年
- 東大阪市美術展、1999年10月~2002
- 枚方市市民絵画展、1995年9月~2008年
- 大阪府・兵庫県近美展、2002年12月~2004年
◇地域活動
- 枚方元町老人クラブ「長松会」会長、今年で5年目、会員67名
- 「枚方元町会」相談役、今年で5年目、世帯数180軒
- スポーツ吹矢、昨年初段取得(長松会15名と研修中)
7.これからの人生目標
生涯現役で生きたい。
<取材:梅原、鬼頭、吉川、倉橋 HP作成:梅原 WP編集:吉川>