第14回 夢中人紹介 小畠 省次さん

”菊づくりとともに22年”

枚方市香里ヶ丘11丁目在住
2010年11月17日 取材

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1.取材訪問

  松愛会「園芸部」に1988年(昭和63年)定年退職と同時に入会、2002年には会長に就任、今年で菊づくり22年を迎えられた小畠章次(こばたけ しょうじ)さんを、香里ヶ丘11丁目のご自宅にお訪ねした。年間を通じて菊栽培がお忙しいと思われるのに、松愛会各種行事にも積極的に参加されており、支部内外の会員に広く親しまれ、慕われている方でもある。

2. 経歴と動機

 ご出身は大阪市、1928年(昭和3年)のお生まれ。1943年(昭和18年)松下無線(当時)へ入社、軍用無線機の技術開発に従事。戦後はラジオ工場へ戻り、テレビ事業創生に大きく貢献。カラーテレビ事業部の購買責任者担当後、1973年(昭和48年)産機グループへ移動、開発営業責任者として活躍、1988年に定年退職。「菊づくり」との出会いは、職場の先輩が「園芸部」におられ、環境改善で緑化運動も盛んであったこともあり、気楽な感じで入会されたということである。
 入会2年後の1990年に早くも「福助コンクール」で3位に入賞し、一気に関心を深められたようである。

 1996年には「枚方園芸同好会」にも入会、さらには「枚方市公園緑化協会」の連続講座に参画されたりして技術を深められたとのことである。
 2002年「園芸部」会長就任後は、コンクールに代わって「福助菊花展」を開催、本年は15回目を迎え松心会館(門真市) ロビーに展示し、会館ご来場の方に鑑賞頂いている。
 毎年5月には野外見学会として園芸関係の催し会場を見学、春秋の2回には丹精込めた小鉢ものを持参して会員相互で品評会等を行い、さらには月1回の定例勉強会を通じ、研修と情報交換を重ねられている。

3.菊夢中人への道程

福助コンクール3位入賞
(1990年11月)


入会当時の教則本
(1985年5月)

 菊の種類は大別すれば大菊、中菊、小菊と分類されるが、大菊の中で背丈が低く持運びも容易な「福助菊」が昨今の人気で、頭の大きい「福助人形」から名付けられたという。
 園芸部活動としても「福助菊」に特化されているが、入会当時は参考書も少なく、会員の越智氏(故人)の自筆マニュアル(右)を教材にして学習された。
 努力の甲斐あって、入会2年目には前述の福助コンクールで入賞(左)し、大きな感動を得て、以後の菊夢中人としての苦楽が始まることになる。同好の仲間も増え、園芸を通じて地球環境の大事さも痛感されたということである。

4.菊づくりの年間作業

 11月の花が終わったら、健全な葉を3~4枚残して上の茎を切り取り、来年の親木の準備作業を開始、殆ど年間を通じての根気の要る作業がここから始まる。
 4月には新芽の育成作業を行い、5月初旬には発根材を付けて苗床に移し、7月以降から本格的に忙しくなる。以下に主な栽培作業を、氏が自分史用等に今年用意された写真でご紹介する。

5.菊づくりの楽しさと、今後の夢など

 菊づくりは1年中生育に心身とも使うことで、ボケ防止の効果があるということである。しかし天候に左右されることと、気象状況に合った環境作りが必要であり、経験を重ねての対応も求められるようだ。
 立派に咲いた菊を見ることの楽しみと、年間での生育過程の楽しみを味わえることが、「菊づくりの良さ」であると結ばれた。今後は同好者を増やし菊づくりの輪を広げたく、園芸部への入会PRも積極的に行いたいということで、今回のご紹介がその一端になることを期したい。

<取材:梅原、鬼頭、吉川、大熊 HP作成:吉川 WP編集:吉川>

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