第6回 夢中人紹介 谷口 俊司さん

”百名山を5年で完登”

枚方市東中振1丁目在住
2004年7月8日

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◆ 百名山を完登、カービングスキーを操り海外の山に足を伸ばす!

 この6月に曹洞宗大本山の永平寺で座禅研修を始められた谷口俊司さん、仕事一筋だった典型的松下マンが、卒業後アルピニストに変身、日本百名山を5年で完登、本場のアルプス(2002年7月)やヒマラヤ(2002年11月)にも足を伸ばしてトレッキング。また若者に人気のカービングスキーで、2010年に冬季オリンピックの男子スーパーダウンヒルが開催されるカナダ・ウイスラー・スキー場のコースに挑戦(2004年3月)。とにかく超元気印の谷口さんをご紹介し、この猛暑を元気に乗り切る一風の涼風とさせて頂きます。(以下は、谷口さんの手記-MRC機関誌「道標」より抜粋させて頂きます)

◆ 感激の百山目は男盛りの活火山「岩手山」

 2001年9月18日、天候薄曇り、しかし頂上を望むと雲がかかり「南部冨士」と呼ばれる東北岩手県盛岡の北に聾える2039mの雄姿は見えない。盟友井上一氏のサポート役で一気に八合目まで登ると、一面ガスがかかり強烈な風に見舞われて山の女神は最後まで試練を与えてくれた。遂に岩手山の頂上に立ち歓喜の雄叫びを挙げ銘酒で乾杯!遂にやった登った登り終えた。百の頂きに立った!65才の老爺も今までの汗と涙の苦闘も忘れて興奮し、大感激の一時でした。バンザイ! 万歳 万歳♪♪♪ 

◆ 百名山への動機

 谷口さんの故郷は信州長野県飯田の伊那谷の生まれ。高校を卒業するまで「南アルプスの赤石岳や塩見岳」を朝な夕なに眺めながら、何時かあの山に登りたいと思いつつ、遂に定年を迎えてしまった。
 山好きの後輩から赤石・塩見の写真入りの記事を貰って、急に我が故郷の山が懐かしくなり「定年記念に登ってみよう」と決意。記事の原本は深田久弥著の「日本百名山」登山ガイドからのコピー。これまでに登った山をチェックすると10山あり、登頂記録写真を整理すると5山しかなかった。
 取敢えずトレーニングに入り3ヶ月間足腰を鍛錬し、待望の赤石岳・塩見岳を必死で登頂する。山では何と中高年の登山者の多い事か、殆どの人が日本百名山の完登を目指していることを知り「俺も一念発起、日本百名山に挑もうか!」というのが触発起源でした。

「日本百名山」選定基準の要約(1964年/深田久弥)
1、山に品格があること
誰が見ても立派な山だと感嘆するものでなけれぱならない。高さだけでは合格しない。厳しさや強さそれに美しさが何か人の心を打ってくれる山であること。
2、山の歴史を尊重する
人々が朝夕仰いで敬い尊ぴその頂きに祠を奉るような山霊がこもる山であること。 当然古くから麓の人々にも敬われる長い歴史がある山。
3、個性のある山
形体、現象、伝統とも他山になく、その山だけが具えている独自の強烈な個性の山であること。高さは1500m以上とする。筑波山と開聞岳は例外とする。

◆日本百名山の一番目は青春の思い出「美ヶ原」

 高校一年の夏休みテントを担いで友人4人と初めて登った2000m級の高原「美ヶ原」は、青春時代の思い出深い登山日誌の第1ぺージ。この山が日本百名山の一つになっていることは、何かしら因縁深いものを感じる。
 山国に育っても高い山は危険で恐ろしい所だと教えられ、登山の許しを得るのは大変だった。美ヶ原の高原に立ち、舞う雲の中で牛馬が戯れ、遠くにはアルプスの山々が一望できた時、その大パノラマに感動した高校時代の夏が懐かしく思われる。
 2001年10月、50年振りに再登頂してみると「電波塔の山」に変わりハイヒールで行ける観光地に変貌していた姿は誠に残念だった。

◆ 百の頂きに五年の歳月

 最北端の北海道「利尻岳」から最南端の屋久島「宮之浦岳」までを、年令別にどう登って行ったのか整理してみると、60歳以前に 5山、60歳 16山、62歳 9山、63歳 29山、64歳 28山、65歳 13山でした。
 日本百名山連続踏破史上最短の完登攀は、(株)アシックス勤務の登山家「広重恒夫氏」が1996年に達成した123日が最短記録で、それからすれぱ比較にはならず、小生の5年の歳月というのは標準で、最近では元気な老人が増えて70才台で完登攀をした喜びの記事が載っているのを目にする。いずれにしても体力、気力、知力?に加えて、資金力の掛る趣味道楽である。怪我や事故にでも遭遇すれば更に大変な出費に繋がる。天候にも山の神にも微笑んでもらわねば成功の約束はない。

◆単独行登攀は73山!苦あり涙あり

 複数で登山計画を立てるには相当前からの準備と打ち合わせが必要で、人それぞれにその山の好き嫌いが有り、既に登っていて二回目になるとかで中々調整し難く、そんな事をしていては百名山も愚か50山も登れない。
 一人では不安も多いが事前の計画検討が綿密になり、しかも天候状況や体調管理も正しく把握判断できて、結果的には冷静沈着な行動に結びつき、無事な踏破に繋がったのではないかと思っている。山道や山小屋で会った連中は皆友達と思い、話し掛ければ友達の輪は広がる。今回の登山を通じ全国に友達の輪が更に広がり、楽しくメール交換をしている。
 2000年から2001年にかけては、単独行の冒険心は影を潜めて安全第一の複数ペアーの登頂が殆どであつた。これは偏に日本百名山を目指した盟友の登場にあった。

 単独行の失敗談は屋久島の宮之浦岳で、遭難一歩手前の危険に曝され非常に怖い思いをした。雨とガスに遭って花之江河付近で道に迷い、3時間ぐらいの間、同じ山道をぐるぐると廻っていることに気付いたが時間切れで、屋久杉の根元でビバークした苦々しい思い出が有る。天候と時間と地図の複合ミスが事を招いた根元と反省し、いい経験になった。
 尾根歩き5年、沢歩き3年が登山の基本と云われて、この経験試練を身に付けないと山登りは危険が一杯!
 山岳写真家の三宅修氏によると魔の山で知られる谷川岳ではもう800人余りの生命を奪ったという。小生も天神尾根付近で、悲しい献花のいくつかを見て身の毛がよだつ想いがした。南無阿弥陀仏‥。

◆お勧めの秀峰、美山-白馬山・烏海山・利尻岳-雪渓と花と眺望

 特に白馬の大雪渓は夏山の魅力!それにお花畑のコントラストは、初心者を山の虜にするでしよう。雪と氷に閉ざされた鳥海湖。海上に浮かび上がった利尻富士、その頂きに色鮮やかに咲く可憐なお花と奇岩のローソク岩等々。
 その他至仏山と燧岳に囲まれた尾瀬ケ原、なかでも初夏の霧が晴れて水芭蕉やニッコウキスゲの咲き乱れる尾瀬ケ原は、まさにお伽噺か幻想の世界かと思うほど大自然が一杯である。もう三回足を運んだが毎年でも行き続けたい!尾瀬の魅力は底知れない深さを持っている。もう一つ、レンゲツツジの咲き乱れる安達太良連峰、乳首のような山頂が本峰の安達太良山だ。遠くから眺めると実に青臭い処女性の乳房を感じる。しかし頂上付近は荒涼とした火山性の景観に圧倒され夢の世界から活火山の厳しい現実に戻される。

◆恐ろしく冒険的で危険な三険山-幌尻岳・飯豊山-聖岳

 人それぞれにルートや天候それに体調と、その時々により異なるので一概には決め難いし、条件さえそろえば逆に忘れられない名山秀峰になるのではないか?とも思うが‥。
 幌尻岳は麓までのアクセスが大変で、登った人はごく限られるのではないか。額平川の腰から胸にまでに及ぶ徒渉が15回ほど続き、両岸の道なき道、崖あり樹木あり山あり谷あり、「よくもこんなに酷い山を日本百名山に推薦したものだ」と途中で泣けてくるような山?トドマツにヒグマの爪痕が残っているのが見られた。
 最悪だったのは東京の10人ほどグループのリーダーが増水した額平川の徒渉に失敗し、遭難された現場に遭遇したことである。苦難の登頂であったが、日高山脈最高峰の幌尻岳の頂上に立つことができた。しかしこの山はお勧めできない。登山道路の整備が急務で、何が起こるか予測ができない難しい山である。

 飯豊山も麓までのアクセスは言うに及ばず、行程も長く体力勝負の山である。小生は川入から登ったが、三国岳への心臓破りの登り「剣が峰」の岩陵が厳しい。切合小屋に泊まり、烈風と叩きつけるような雨の中を強引に登るが、急峻な草履塚から姥権現、更には御秘所の岩場へと続き、地を這って登ったが今から考えるに無謀登山であったと反省している。天候に恵まれず、東北随一の雄大な飯豊連峰の険しい峰々や渓谷が望めず残念であったが、機会があればもう一度天気の良い時に登りたい山である。
 聖岳か、空木岳か?やはり南アルプスの聖なる山、容易に近づき難い山、悠然とした山姿は他に類をみない聖岳としたい。わが国の中央に位置して人気の無い山とは誠に残念ではある。コースは二つ、椹島からと便ケ島からのものとあるが、何れにしても天候と体力が物を言う深山険山だ。上河内岳を経由しての光岳縦走がお勧めコースであるが1日の予備日が肝要である。

◆山男の本懐!3000m 級縦走コース

 小生、冬山はやらない、否登れない。しかし、たまたま雪に出会い厳しかったが、楽しかった立山雄山と霧島連峰の韓国岳は素晴らしかった。また奥穂高岳の吊尾根で霰にあい、見る間に岩場で数センチ積もり危ない思いをした。
 さて小生の辿った縦走コースであるが‥
(1) 薬師岳-黒部五郎岳-鷲羽岳-水晶岳 (2) 北穂高岳-奥穂高岳-前穂高岳 (3) 弓折岳-槍ケ岳-中岳-南岳 (4) 木曽駒ケ岳-宝剣岳-空木岳 (5) 聖岳-上河内岳-茶臼岳-光岳 (6) 赤石岳-前岳-中岳-悪沢岳
 テントに炊事道具更には食料を背負っての縦走ではなく、山小屋伝いの連登なのでそうたいした苦痛ではなかった。40年前の立山~劔岳の重装備登頂は、今思い出しても足腰が痛くなるような悪戦苦闘の連続でした。
 2001年最悪の出来事は木曾駒ケ岳の宝剣山荘で布団1枚に3人寝、翌日の木曾殿山荘ではなんと布団1枚に4人寝と、蒸し風呂のような暑さで、久しぶりに山小屋のシゴキに合いました。山開きと夏休みのスタートと重なる時の登山計画ぱ避けたほうが賢明でした。
 日本の百名山を完登して、これからは海外の山にも足を伸ばしたい。

◆海外遠征スナップ

<HP作成:冨田、WP編集:吉川>

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