宮川 雅春【15班】2022.2.9
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平成6年まで山之上5丁目に住んでいました。隣との間に藤田川の支流の小川が有り、絶えることなく水音がしていました。
岐阜の生家の前にも一級河川の「柿友川」が生家と並行して流れており、100m程下流で「鱒渕川」と合流して「黒川」となってやがては「飛騨川」へと流れ、「木曽川」に合流。「明治用水」等に分岐しながら、斎藤道三・豊臣秀吉・織田信長・明智光秀等々を育てたて濃尾平野の田畑を潤します。勿論「揖斐川」「長良川」もその他産業にも大いに寄与していますが、中部地方を形創る源泉となります。
その「柿友川」前の生家では、毎晩寝静まるころにその流れの音(だけ)が聞こえてきます。
高校通学の為の下宿生活から始まり、会社での寮生活、結婚後の茄子作社宅生活。慣れ親しんだ流れの音が途絶えました。
山之上5丁目の小川の源泉は(たぶん)以楽公園の池の水がしみ出していると思っています。
生家の標高は約450m。家の南正面と北東裏手方面には1000mクラスの山がいつでも見る事が出来ました。
夜の水音に満足して10年程経ったので、今度は山の景色を毎日見たくなりました。と言う訳でも有りませんが、平成6年に今の地、宮之下(数百m程しか離れていませんが)に現在の家を建てました。
土地値が300万円を下がり始めては居ましたが、それでも最終1億円近く支払っています。近所の人からは、「1区画に小さな家が2軒建った」「(掘り込みガレージで地上げしており)日照権が棄損されていないか」等々の悪口がいくつも聞こえてきましたが、家の前の電線を無視して眺める景色はチョットしたものです。
当時の「淀川花火大会」は(勿論音はかなり遅れて聞こえますが)出かける事なく見る事ができました。
淀競馬場の花火も、最近は流行りのあちらこちらの田んぼの花火も音がしてからですが、ほぼほぼ鑑賞できます。
本年1月31日にはこんな火事も映すことが出来ました。
もっと良い写真?をお届けします。
川のせせらぎは、天の川経由の淀川散歩。その間には、飛行機・雲・風を味わっています。
町中の緑はしっかり残して欲しいものですね。増やして欲しいものですね。増やしていきましょう!
(番匠議員には最近流行りのコンクリート庭の新築家屋建築を禁止する条例を作るよう伝えています。)
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景観の良い所に、住居を構えておられますね。宮之下町は私の住居(香里ヶ丘1丁目)とは近くで、概略は知っている積りでした。
「山田神社」へは毎年初詣に行ってますが、バス通りを隔てた南側一帯が宮之下町ですね。「桜公園」にも4月は撮影に行きますが、
桜公園の下の北側一帯が宮之下町ですね。
くらわん会やカラオケ同好会仲間も居りますが、どちらかと言うと、道路が狭い所に住居がひしめいているというイメージでした。
宮川さんの住居は、私が良く知らなかった宮之下町西側のやや小高い場所の様で、2階の窓からの眺望ですね。
「我が家からの景色」とか「我が故郷を語る」という切口は、自由投稿としては汎用性があり、他の方からの投稿も期待しています。
今は廃業されていますが「田縁医院」の前です。
山田神社の森から西方に次の森が有りますが、その森(山)の裾野から少し高台にある為、投稿の景色となっています。
2階(我が家の天守閣)からの眺望ですが、家の前には電柱・電線が有る為それを避けながら撮影しました。結構苦労した写真です。
写真の森にはここ3年ほど「トンビ」が子作りにやってきます。匿名で「裏山のトンビ」を名乗ることがあります。
写真は北側から東側を映していますが、南側はこの森と隣家があり日当たりは極めて悪い立地です。又西側は少し高くなっており、景色は良くありません。投稿はベストショットと言えます。