京都歩こう会(栗栖野を歩く)に参加【自由投稿】

松島 可美【12班】2024. 5.28

 

◇京都歩こう会(栗栖野を歩く)に参加しました

【行程】京都地下鉄 東西線 石田駅 ⇒ サンディ小栗栖店 ⇒ 明智藪 ⇒ ファミマ小栗栖店 ⇒ 吉利倶八幡宮 ⇒ 宮道神社 ⇒ 勧修寺公園(昼食)⇒ 中臣公園 ⇒ 宮道列子墓 ⇒ 坂上田村麻呂 ⇒ 京都地下鉄 東西線 椥辻駅(解散)
【距離】6.3km

先月に続き「京都歩こう会」に参加しました。枚方から、京阪「中書島」で宇治線に乗換え、京阪「六地蔵」駅へそして、京都地下鉄「六地蔵」駅まで約10分ほど歩き、隣の「石田駅」まで乗車し、集合場所に到着です。28名の出席です。今日歩く「栗栖野」は、山科川と安祥寺川に挟まれた丘陵盆地で、古くから皇室の狩猟場として知られており御栗栖野(みくりすの)とも呼ばれてうるそうです。

「石田」駅で簡単なあいさつの後出発です。近くの「サンディ」で最初のトイレ休憩・弁当の購入のあと、「明智藪」に向かいました。「明智藪」は「本能寺の変」の「明智光秀」が敗走中に影武者狩りに遭ったとうい所らしいです。そこから「山科川」に出て、川沿いを歩いていきます。休憩をはさんで50分ほどで「吉利倶(きりく)八幡宮」に到着です。「吉利倶八幡宮」の御祭神に応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を祀り、現在の八幡宮本殿は1695年(元禄8年)の再建(京都市指定文化財)されたそうです。ここには、伏見城にあった木製の燈篭が奉納され残っているそうです。さらに「宮道(みやじ)神社」に立ち寄りました。「宮道神社」は、898年に古代豪族・宮道氏が建立しました。その後隣接する勧修寺ゆかりの宮道弥益・藤原胤子・藤原定方・藤原高藤を合祀したそうです。そして「勧修寺(かしゅうじ)」の門前(有料のため)を見て、昼食場所の「勧修寺(かんしゅうじ)公園」に向かいました。

「今昔物語」では、「藤原高藤」が鷹狩にきて迷い、「宮道弥益」の館に一泊し、娘の「列子」をみそめたそうです。高藤は親に激怒され外出禁止となり、6年後に山科で列子に再開すると「胤子」が生まれていたそうです。胤子は「宇多天皇」の女御になり、「醍醐天皇」を生んだそうです。(なお、紫式部は高藤・列子の子孫ということです)また、「勧修寺」は、醍醐天皇の勅願寺で、900年に天皇の生母胤子追善のため創建されたそうで、庭園が有名です。
昼食後、少し歩き、中臣公園でトイレ休憩後、「列子の墓」・「二宮神社(中臣神社)」に立ち寄りました。「列子の墓」は、このあたりの中臣遺跡の古墳群の中にあり、円墳の上にありました。そして、少し歩き「坂上田村麻呂」の墓に立ち寄り、最後に「中臣遺跡」のかまど跡を見て、京都地下鉄「椥辻(なぎつじ)」駅で解散しました。

こちらが「コース案内」です。

 

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