二つの百済王神社を巡る(枚方ええとこどりウォーク)に参加【自由投稿】

松島 可美【12班】2024. 5.20

 

◇二つの百済王神社を巡る(枚方ええとこどりウォーク)に参加しました

枚方市駅 ⇒ 天津橋 ⇒ 天野川河川敷 ⇒ 禁野車塚古墳 ⇒ 百済王神社(中宮)・百済寺跡 ⇒ 禁野橋 ⇒ 百済王神社(大垣内)⇒ ニッペパーク

5月18日(土)に枚方文化観光協会主催の「二つの百済王神社を巡る」(枚方ええとこどりウォーク)に参加しました。「枚方市駅」に10時集合です。5組(1組10人程度)に分かれて出発です。
再開発中の枚方市駅周辺を見ながら、「天津橋」を渡り、天野川に沿って進みます。途中には「交野が原」の歌碑もあります。「天野川」の飛び石を渡ったり、川縁から見る景色は普段の景色と異なり楽しいひと時でした。「禁野橋」から「禁野車塚古墳」へ向かいます。

「禁野車塚古墳」は、長さ120m、円部分は、63mの前方後円墳です。1,700年前に作られたそうです。ここから、「百済王神社(中宮)」へ向かいます。「百済王神社」は、百済の最後の王「義慈王」の子である善光(禅広)を始祖とする百済の祖霊を祭っています。ここの旧拝殿は、現拝殿の右側に移築されていますが、天保7年(1836年)の修繕記録が残されているそうです。この「百済王神社」の横には、特別史跡である「百済寺跡」があります。「百済寺跡」では、先日「築地塀」が完成しました。

「百済寺跡」から、天の川病院前を通り、再び「禁野橋」を渡り、「大垣内町」へ向かいます。大垣内町には、二つ目の「百済王神社」(大垣内)があります。「百済王神社」には、百済寺が廃寺になってからも、百済王一族の人々によって祭られていました。豊共秀吉の行った「太閤検地」により、百済王氏一族の人々は、中宮の地から大垣内に居を移しました。その後、も天野川を渡り、百済王神社の祭祀を続けていましたが、江戸時代の中期の洪水により、百済王神社へ行くことが難しくなったので、大垣内の邸宅内に中宮の百済王神社を分霊し、遥拝所を設け、現在までお祀りされています。

こちらが「コースMAP」です。

 

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