第3回『王仁公園通り』
(藤阪 王仁公園)
2004年 6月 6日取材
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◆王仁公園通り(わにこうえんどおり)(藤阪天神~王仁公園を1周~藤阪中町)
JR学研都市線の藤阪駅のすぐ東の一方通行のガードレールを越えたところから、菅原神社と王仁公園を1周して長尾駅手前の藤阪中町に抜ける緑豊かな市道が「王仁公園通り」です。
JR藤阪駅は昭和54年(1979)に片町線の複線化とともに田んぼの中に新設されましたが、今もその周囲は大きく変わることなく、華やかさはありません。駅から見下ろせる場所にへら鮒釣りの「王仁つり池」があり、釣り人の不法駐車が道路の半分を埋めています。
つり池から左に折れて緑のS字カーブを緩やかに上がると左手の森の中に、藤阪菅原神社があります。この神社の境内には片町線が横切っており、今は地下道をくぐらないとお参りできませんが、複線化の前までは、山根街道からの参道は踏み切りを渡っていたようです。
王仁公園にぶつかるすぐ手前の右側に「市立旧田中家鋳物民俗資料館」があり、意賀美神社近くの大椋木の横にあった旧田中家の鋳物工場と主家を市が譲り受け昭和48年(1973年ごろに解体してここに復元したものです。和銅年間(708年)から昭和30年(1955)まで続いた旧田中家を通じて鋳物産業の歴史を展示しています。(詳細はふるさと枚方発見第4回「旧田中家鋳物民俗資料館」をご参照下さい。
ここから道路は右折し王仁公園を1周します。王仁公園は昭和49年(1974)に完成し、9万6千㎡あり枚方市営では一番大きい公園です。百済から日本に漢字や儒教を伝えたとされる王仁博士の墓と伝えられている伝王仁塚が公園のすぐ東の藤阪東町2丁目の住宅街の中にあることから王仁公園と名付けられました。(詳細はふるさと枚方発見第8回『伝王仁塚と特別史跡・百済寺跡』をご参照下さい。
梅雨の合間の曇り日でも、今が緑一杯で輝くような周回道路を行くと西の駐車場、続いて市民プール、相撲の土俵、テニスコート、球場、緑の広場と恒久平和のモニュメント、東の駐車場と施設が並ぶ。中でも市民プールには50mの競泳プールから子どもたちが遊べる環状の流れるプールまであり夏場は市民で一杯のなります。
この地区は津田町が昭和30年(1955)に枚方市に吸収合併されて以降、緑と自然が少なくなっていた市の、貴重な地域として市の公園や福祉施設などが集中しています。福祉施設は、市立の養護老人ホーム「菊花寮」、老健ふじさか、デイサービスセンター「うぐいすの里」、知的障害者通所授産施設「セルプわらしべ」、勤労者憩いの家「サンパレス枚方」、国家公務員共済組合連合会京阪奈病院などが道路沿いに集中しています。
- 藤阪駅の近くの「老健ふじさか」の前から王仁公園通りが始まる
- 藤阪駅周囲は大きく変わらず、へら鮒釣りの王仁つり池がある
- 王仁釣池の釣人の不法駐車が駐車禁止の看板の前に道路の半分を埋める
- つり池から左に折れて緑のS字カーブを緩やかに上がる
- 藤阪菅原神社 今は地下道をくぐらないとお参りできない
- 王仁公園にぶつかる手前の右に「市立旧田中家鋳物民俗資料館」がある
- 復元された旧田中家鋳物工場、鋳物産業の歴史資料館
- 昭和50年に市が譲り受け解体復元し、内部は当時の民俗資料を展示
- 市の文化財発掘調査の総元締め(財)文化財研究調査会の事務所もある
- 弥生時代の竪穴住居、田口山遺跡で検出したものを基に上部構造を復元
- 珍しく相撲の土俵があり、子供たちが指導者から厳しく鍛えられていた
- 各施設をつなぐ緑一杯の遊歩道があり家族連れが散歩していた
- テニスコートにも沢山の競技者が集まっていた
- 野球場では軟式野球連盟の公式戦が行われていた
- 1987年に核兵器の廃絶と恒久平和を祈念し建設された
- 深い緑に包まれた公園内の遊歩道はしっとりとした趣がある
- 野球場のあたりで杉中学の方からの道と合流し公園に沿って続く
- 「セルプわらしべ」では乗馬や植物の栽培などで心のケアーをしている
- 枚方市立の養護老人ホーム菊花寮は昭和48年に伊加賀から移設された
- 国家公務員共済組合連合会京阪奈病院は香里団地にも分院がある
- 勤労者憩いの家「サンパレス枚方」
- 王仁公園東入口、此処を上がって行くと広場やモニュメントがある
- デイサービスセンターや軽費老人ホームがある「うぐいすの里」
- 山根街道(府道交野久美山線)の藤阪中町の信号まで王仁公園通りは続く
<リポーター:田宮・岸本・山添・中西・冨田 HP作成:冨田 WP編集:徳田>