Enjoy Shoai 小畠 章次さん

こばたけ しょうじ

2020年3月23日にご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。

2018.5.10

香里ケ丘在住 3班

卒寿を超えて元気はつらつ!

1928年大阪市で生まれ、小学校時代は祖父が西区江戸堀で糸へんを商いとしていたため、船場周辺が子供の遊び場でした。
 松下への入社は1943年、戦中に当時の松下無線(株)に配属、海軍航空隊へ納入の無線機の生産に従事しました。戦後はラジオの生産で会社も活気づき、民放も急速に伸び、世の中が明るく徐々に平和の空気が国中に広がってきました。
一方、白黒テレビも急速に各社研究開発、しのぎを削る競争時代に入りました。 私もラジオ部門よりテレビ部門で勤務し、幾多の経験をへて、最終は産業機器(株)にて1988年3月定年退職、約1か月後、会社より依頼があり、非常勤で関係会社および共栄会社等へ経営指導を行うことになりました。

 

松愛会とのお付き合いは定年の2年後に友人との関係で「菊づくり」の会に入り、色々と先輩たちより教わったことが今日まで続いていることであり、現在「園芸部」として存在しています。 当時、会員数は20数名でしたが、高齢者集団で年々会員が減り、一時開店休業の状態で暫時休会となりました。それから数年たち、我々若手?で会の再生に努めました。その後、植物に詳しい方も入会して徐々に意欲的に菊づくりに取り組むことができました。部活動としては年初に年間の方針をたて、菊の種類も「福助菊」に絞りました。
 「福助菊」は鉢底より花の頂までが60センチで抑えることが基準となるように育成することが肝要で、それに取り組む苦労が厳しく、成功の際の喜びはひとしおです。作業としては8月早々に苗を受けて10月末まで肥料、消毒等、開花に必要な手入れを等管理して11月早々に展示の運びとなります。
 毎年、松心会館ロビーで「福助菊花展」を開催してご覧の方々よりご意見、感想等頂き、今後の部活動に参考にさせて戴いています。また例年5月、植物園などを見学し、野外研修を楽しみながら実施しています。

「歩こう会(くらわん会)」の思い出では退職後まもなく健康と人との交流を目的で参加しました。現在のように各地域になく、松愛会として1本でした。新年会は当時、古川橋のある会館で高齢の女子会員さんが三味線を弾かれる楽しい宴会を兼ねての行事で楽しい思い出でした。 くらわん会では170回程度参加しましたが、高齢と足腰の弱りで脱会したことが残念でした。ゴルフも産機会の能勢カントリーでの月1の行事は、大先輩と会えて長年楽しい雰囲気でのチャレンジは今でも忘れられない思い出となり、脳裏に鮮明に残っています。

健康については高齢化相応で90歳オ-バーの悲哀を感じます。出来る限り歩くことを考えていますが、現実は思うように行けません。座右の銘とは言えませんが「日々完結」に心がけています。在職中に常にチャレンジしていたことで、現在日常生活にも適用しています。

◆松愛会への貢献 本部園芸部

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