2021年 社会貢献活動「蹉跎神社清掃活動」33名が参加!

枚方南支部行事報告 2021年社会貢献活動

蹉跎神社 清掃活動

開催日 2021年10月9日(土)

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本日は、33名の方に参加いただきました

 

◆コロナ禍の中、晴天に恵まれ33名の方に参加いただきました

地域に密着した社会貢献活動の一環として、今年は南中振の「蹉跎神社」の清掃を10月9日(土)に実施しました。特に今年もコロナ禍での開催時期になり、実施も心配されましたが、緊急事態宣言は解除され、「蹉跎神社」の「例大祭」を翌週に控え、神社からも大いに期待されて、今年で4年目の清掃活動を継続できました。

2021年度も昨年に続き、コロナ禍でほとんどの支部行事が中止になっており、「蹉跎神社」清掃活動が、今年初めての屋外行事の実施となりました。昨年度と同数に近い33名の方に参加していただき、地域に密着した社会貢献活動が継続して定着しているのは喜ばしいことです。

◆番匠枚方市議会議員も参加いただきました

9時少し前には33名の会員さんが集合。参加いただいた方は念のため検温器で、体温を確認しました。秋の季節なのですが、すでにかなり日差しは強く、清掃には少し堪える日となりました。
 長い緊急事態宣言が続いていたため、久しぶりに会う人も多く、マスク越しの会話が弾んでいました。
 開始に先立ち、まず全員でラジオ体操を行い、体を動かしました。

中島支部長からコロナ禍での今年度最初の会員さんが参加する行事になるということで参加御礼あいさつがあり、今月、9班の新任支部役員になった東間さんの紹介がありました。出口に住まれている番匠枚方市議会議員の挨拶の後、蹉跎神社の宮本宮司から感謝の言葉をいただきました。その後、担当の溝口支部役員から本日の清掃の要領を説明。密を気をつけ集合写真を撮り、いよいよ総勢33名で清掃活動がスタート。

◆きれいになった「蹉跎神社」の境内、拝殿回り

集まった33名の方は各自思い思いに熊手や竹ぼうきとゴミ入れをもって、境内に散らばり、9時から作業を開始しました。日差しが強く、すぐに汗だくになりながらの清掃活動になりました。
 10時過ぎまで各人、境内のゴミや落ち葉の回収、草取りと今回参加いただいた3名の女性会員中心に拝殿周りの拭き掃除を熱心に行いました。

今年もゴミや落ち葉をたくさん回収が出来、雑草もすっかりなくなり、境内、拝殿回りは見違えるように綺麗になりました。暑い中、マスクを着用しての作業は結構、厳しかったですが、この成果を見て、汗だくになってやった甲斐があったと、清々しい気持ちになられたようでした。
 終了後はアルコール消毒液で手洗いをし、蹉跎神社からの神饌のお下がりの品とお茶ペットボトルもいただき、解散しました。

◆清掃活動と並行して「みんなで“AKARI”アクション」リサイクル募金の活動を行いました

古本寄贈を3名、古い年賀状(書き損じおよび未使用の年賀状・はがきが対象)提供を1名からいただきました。 ご協力をありがとうございました。

◆事前に参加する方に新型コロナウイルス感染防止対策をお願いしました

緊急事態宣言は解除されましたが、コロナ感染の危険が無くなったわけではないので、以下の 点について、支部から参加者の方に事前にメールでご協力をお願いしました。

1)参加される前に ・ワクチン2回接種、またはPCR検査等陰性の方を参加対象とします。

  • 当日、軽度であっても体調がすぐれない方は参加をご遠慮願います。
  • 当日、同居家族や身近な知人に感染を疑われる方がいる場合は、参加を見合わせてください。
  • 例年の蹉跎神社からのお茶の準備は、このような時期なので今年はお断りしました。暑くなる心配も有りますので、必ず水筒を持参してください。

2)会場に集合される際に

  • 体温測定にご協力願います。
  • 手指のアルコール消毒にご協力願います。

3)会場内では

  • 不織布マスクの着用をお願いいたします。
  • 密にならないように、できれば2m、最低でも1m以上の間隔をあけてください。
  • 体調がすぐれない場合は、早目に役員までお知らせ願います。

◆最後に

今年も厳しいコロナ禍での行事となりましたが、例年と変わりなく、たくさんの会員さんが集まってしっかりと清掃活動が出来たのは喜ばしい限りです。今回参加いただい皆様は大変ありがとうございました。支部では今回と同様に11月6日(土)に茄子作春日神社の清掃活動を開催しますので、皆様のご参加・ご協力をお願いします。

 

◆枚方市 南中振「蹉跎神社」について

『蹉跎神社』 延喜元年(901年)、菅原道真が大宰府へ左遷される途中、山の上で休憩し、都の方を望んで名残を措しんだ。その場所を「菅相塚」という。
 その後を娘の苅屋姫が追いかけたが、あと少しの所で間に合わず、足摺り(=蹉跎)して嘆いたということから、その山を「蹉跎山」と呼ぶようになった。 大宰府でその話を聴いた道真は、三尺二寸の自身の木像を作って娘に送ったという。

天暦5年(951年)蹉跎山に社殿を造営して木像を祀り、近隣25箇村の産土神としたのが当社の始まりと社伝が伝える。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で社殿は焼失したが神像は無事で、現在地に遷座して中振・出口両村の産土神として再建された。明治5年、走谷村の産土神であった加茂健豆美命神社を合祀して郷社に列格した。現在の社殿は明治22年3月に改築されたものである。

※『蹉跎神社』について詳しくは、当支部作成の『ふるさと枚方発見 枚方の神社 「蹉跎神社」』をご覧ください。

 

写真: 櫻田・中村・徳田 記事・HP作成: 梅原

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