第58回-Ⅱ-3 夢中人紹介  花木 孝道さん

                    はなき たかみち

“ ラ・マンチャとドン・キホーテに魅せられて”(3)

枚方市東香里 在住
取材日:2024年10月17日

はじめに

 前回に引き続き、枚方市東香里にお住いの花木 孝道さん(3班)の “ ラ・マンチャとドン・キホーテに魅せられて の3編目を紹介します。

 花木さんの一番お気に入りは “ ラ・マンチャとドン・キホーテに魅せられて  を夢中人紹介Ⅱとして紹介しており、今回はラ・マンチャ地方を第2回夫婦1ヵ月スペイン車旅(2012.04.17~05.19)の旅行記と写真にて辿ります。

【花木さんの夢中人紹介】

La Mancha とDon Quijote

第2回夫婦1ヵ月スペイン車旅(2012.04.17~05.19)
今回の内容、次の ⑪ ~ ⑱ 旅行記です。

◆2012.05.05 クエンカ[⑪]
◆2012.05.07 ビジャロブレド[⑫]
◆2012.05.07 ルイデラ自然国立公園[⑬]
◆2012.05.08 ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス[⑭]
◆2012.05.08 ラ・ソラナ[⑮]
◆2012.05.08 アルガマシーヤ・デ・アルバ[⑯]
◆2012.05.08 アルマグロ[⑰]
◆2012.05.09 デスペーニャペロス[⑱]

第2回夫婦1ヵ月スペイン車旅(2012.04.17~05.19)に出てくるラ・マンチャ地方(茶色部分)の地名と番号
ラ・マンチャ地方の拡大地図
地図番号地名地図番号地名
トレドベルモンテ
コンスエグラ直前SA「エル・オリバール」クエンカ
コンスエグラビジャロブレド
プエルト・ラピセルイデラ自然国立公園
エレンシアビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス
カンポ・デ・クリプターナラ・ソラナ
エル・トボソアルガマシーヤ・デ・アルバ
アルカサール・デ・サン・フアンアルマグロ
モタ・デル・クエルボデスペーニャペロス

ラ・マンチャ地方の旅 今回は ⑪ ~ ⑱ の行程です

◆2012.05.05 クエンカ[地図の番号⑪]

 クエンカの宿泊地、国営ホテル(4012)「パラドール」に着いた途端小雨がやんだ(4013)。「晴れ男と晴れ女の旅」だもの(4015)。部屋は思いのほかシンプル(4016)で、2つのシングルベッドの上に王冠を頂き(4023)、テレビの入ったクローゼット(4027)しかない。
 パラドールでの夕食は、8時半から2時間。パン(4076)とサラダの前菜、ビールはクルス・カンポ(4078)、スリランカ風うずら豆入りスープ(4080)、マッシュポテトクリーム・白身魚の刺身と野菜サラダ(4082)、ピーマンと軟らかく煮た牛肉(4083)超ボリュームのライス付き鮭のソースかけ(4086)、アイスクリーム(4088)、クレープ付きアイスクリーム(4090)、コーヒー(4091)。

◆2012.05.06 クエンカ[地図の番号⑪]

 サン・パブロ橋(4124)から見る「宙づりの家」は見逃せない。14世紀に建てられた3階建て木造建(4126)で、高い崖からウエカール川にせり出すように建てられた奇妙な建物である(4135)。しかも上に伸びる細長い建物(4144)は1階より2階、2階より3階と高くなるほどせり出し部分が広くなっている。

 クエンカ旧市街最北部から見るパラドールと宙づりの家(4342)。また深い谷間(4348)に奇妙な形をした岩山(4350)、まさに奇岩の博物館。パラドールが一握りの狭い平地というか大地の上一杯に建っているのがよく分かる(4357)。

 “サンタ・カタリナ”という下り坂を下り(4186)、旧市街の石畳の道の両側にフカール川を見下ろすように「Rascacielos摩天楼群」が聳えている(4202)。建物の色に統一性がなく、聞いても“各人自分の好きな色を塗っている”との答えが返ってきた。黄・青・オレンジ・ピンク・小豆・赤・灰・黒など同じ色の建物が2軒と続いていない。高い崖にへばりつくように建つ摩天楼。ここからは5階建てに見えても、崖の下から見ると9階建て、マジックではないよ(4233)。  

 クエンカの街は雨や風に浸食されやすい石灰岩で出来た町である。雨水が流れ数万年と言う気の遠くなるような年月をかけて石灰岩を侵食し深い谷間ができたのである。ウエカール川と比較的大きなフカール川の2つの川が谷間を作り、間に残された巨大な断崖の上にイスラムが防御の容易な要塞として街を築いたのである。この街のどこを見ても岩の表面が雨や風でギザギザに刻まれ、どれ一つとして同じ物はない。見上げればまさしく絶壁の要塞都市、見下ろせば崖のぎりぎりまで建物が建ち並んでいる。
 展望台から見える単純なローマ式アーチを持つ“跣足橋”の両側を中心に、フカール川沿いには高い建物が建ち並び、そして山際には低い家々が山肌を縫うようにへばりついて建っている。向こうに見える山には3層の奇岩が連なり、その切り立った奇岩が独特の景観を造っている。“絶景かな!絶景かな!”と大きな声を張り上げたのである。

◆2012.05.07 ビジャロブレド[地図の番号⑫]

 ラ・マンチャ地方3つ目のアルバセテ県に入ったビジャロブレド村のシンボルはTinaja(ティナハ)と呼ばれる巨大な壺、160㌢の奥さんと比べてください(4383)。高さは4㍍くらいある。オリーブ・オイルやワインの保存用です。それにしても底が細くて、座りが悪いね(4389)。どのようにして入れ、出すのだろうか(4393)。

 

◆2012.05.07 ルイデラ自然国立公園[⑬]

 ルイデラへの道はブドウ畑とヨーロッパの食を守る小麦畑が(4421)果てしなく続いている(4399)。目にする200基を超える「風力発電設備」は壮観だ(4409)。かつて日本は再生可能エネルギー分野で世界をリードしていた。太陽光発電パネルでも、今や価格競争・中国が強い。一方スペインが得意な風力発電は先進国が強い。1基の風車をつくるのに1万点を超す部品数がある(4413)。日本では高さ60m 以上の風車にも超高層ビル並みの耐震規制が適用されるが、世界の主流は100m超の大型、技術力が要る。全国土に強い風が吹き、欧州域内に送電網整備済み、現代版白い風車のスペインの将来は明るい。

 アルバセテ県とシウダ・レアル県との県境に位置するルイデラ自然国立公園(4428)はイベリア半島で最も重要な湖沼地帯で海抜600m、全長25km、潟湖が15ある(4448)。アラビア語で「乾いた大地」を意味する「ラ・マンチャ」は空想なんだろうか。現実にはこんなに水に恵まれたところもあるんだ。しかもどこから流れてくるのかいくつもの小さな滝(4493)となって、サルバドーラ潟湖やサン・ペドロ潟湖に大量の水が流れ込んでいる。

 驚いた。最も大きなコルガータ潟湖(4439)は真っ青な湖面と若草色に萌える新緑の木々が美しかった。サン・モルシーヨ潟湖の湖底には(4480)枯れた材木が沈んでいた。真っ青な湖面に真っ白い沈木、幻想的だった。その湖底から大きな木の幹が(4485)一本だけ顔を出している。葉が一枚もなく多分枯れ木だろうか、まるで生きているかのように先端には枝が一本伸びていた。潟湖は水鳥の宝庫と事前調査で調べていたが(4509)今日はサン・ペドロ潟湖で一羽だけ水面にゆったりと泳いでいるのを見ただけだ。鴨だろうか黄色いくちばしに(4512)頭から首にかけては濃い青色、そして茶色に白の羽・胴体をしている中型の鳥が気持ちよさそうにゆったりと泳いでいた。

 ドン・キホーテが探検したモンテシーノス洞窟の前(4541)にパンサの顔がドン・キホーテの2.5倍と大きく、なぜか目玉をギョロつかせている他では見ることができないユニークな像がある。僕はロシナンテの顔を撫でロバの頭を触り写真に収まり大満足だ(4549)。
 いつものごとくドン・キホーテは、長さ3mもある(4551)槍を右手に、左手に丸い楯(4553)以外に何も持っていないが、大きな顔で目玉をギョロつかせたユニークで他ではなかなか見ることができないサンチョ・パンサは(4556)ロバに跨り物持ちだ。ロバの右腰に水筒と大きな袋をぶら下げ、左にもう一つ細長い袋を下げている。肩に鞄をかけ、主従二人分の旅に必要な家財道具を一式を一人で背負い込んでいる(4559)。

 シウダ・レアル県にある北から4つ目のレイ(王様)潟湖畔のアパートメントホテル「ドーニャ ルイデラ」が宿泊地(4427)。大好きなNavajas(マテ貝)にレタス1個丸々の水煮とお粥さん(4566)、インスタントスープの晩御飯はどこよりも美味しい。長さ10cmのナバハスは大西洋から山奥まで運んできたにも拘らずまだ生きており、砂もなく最高に美味しい、47匹で1000円だ(4569)。レタスはサル・コン・アホ(ニンニク風味塩)の味付けで申し分なし。アパートに着くなり、メロンを平らげたからフルーツは要らない。アパートからもらった地元産ワインを飲んで気分は最高だ(4571)。 

◆2012.05.08 ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス/「さる村」[⑭]

 いよいよシウダ・レアル県に入りドン・キホーテの「さる村」を訪ねよう(4593)。
 小説「ドン・キホーテ」の書き出し「名は思い出したくないが、ラ・マンチャのさる村に」「さほど前のことでもない」「見渡す限りブドウ畑だ」(4597)。
小説は続く「槍かけに槍、古びた楯、痩せ馬に足早の猟犬といった型のごとき一人の郷士が住んでいた(4600)。昼は羊肉よりも牛肉を余分に使って煮込み、大概の晩は昼の残り肉に玉ねぎを刻み込んだ辛しあえ、土曜日には塩豚の卵あえ」(4603)。
 さる村まであと19㎞だ。「金曜日にはレンズ豆(4605)、日曜日になると小鳩の一皿ぐらいは添えて(4618)、これで収入の四分の三が費えた(4619)」。

 セルバンテスの小説は以下のように続く
「その残りは、厚羅紗の服、祭日用のびろうどのズボン、同じ布の上履きに使い、普段の日は黒っぽいベリョリ織りで対面を整えた。家には四十歳を過ぎた家政婦と、まだ二十歳にならぬ姪と、それに痩せ馬に鞍もつければ、剪定用の鉈(なた)もふるい、畑仕事や市場への買い物に行く若者がいた。われらの郷士の歳はまさに五十歳になんなんとしていた。」

 「この五十歳になんなんとする郷士がいつも暇さえあれば、むさぼるごとく騎士道物語を読みふけったあまり、狩猟の楽しみも、はては畑仕事の指図さえことごとく忘れ去ってしまった。夜はまだ明るいうちから白々と明けはなれるまで昼は昼で、まだ暗いうちからとっぷりと暮れはてるまでひたすら読書三昧にふけった。こんな具合に、ろくに眠りもせず、無性に読みふけったばかりに、頭脳がすっかり干からびてしまい、はては正気を失うようなことになった。数々の妖術だとか、争闘、合戦、決闘、手負い、求愛、恋愛、煩悩だとか、その他さまざまの荒唐無稽な出来事など、全ておびただしい本の中で読んだ。雲をつかむような作りごとの一切のカラクリはことごとく真実で、彼にとっては世の中でこれより確かな話はないと思われたほど、彼の空想の主座をしめたのだった(4625)」


 ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス村、別名「さる村」はもうすぐだ(4626)。村に入りフエンテ・ビエハ広場に面して建つ赤煉瓦でできたコルプス・クリスティ教会(4629)前に駐車し、人通りのまばらな道を村の中心マヨール広場(4636)に着いた。中央奥に銅像が見える(4637)。ローマ時代には既に存在していたという村に相応しく、長方形の広場正面に大きな村役場と右に重厚な赤レンガで造られたロマネスク様式の詩人ケベドが葬られているサン・アンドレス教会(4640)がある。
 広場には青銅製の立派な像が建っている(4646)。いつものように右手を上(4649)愛馬ロシナンテを呼んでいるのか(4648)。ロバを連れたサンチョ・パンサ(4653)を手招きしているのか。何れにしてもそんな仕草をしている。ドン・キホーテはマントを羽織っているものの帽子も被らず(4654)左手に槍と楯の両方を持っている(4656)。丸い小さな楯を左手首に通し、槍を地面に立てて持っている。しかしキホーテの持つこの槍は、中ほどで少し曲がり先が二股に分かれている(4661)。どう見ても鉄の槍でなく木の枝にしか見えない。こんな貧乏な郷士の像を見たことがない。
 太っ腹のパンサは(4666)粗末な帽子をかぶり、肩に大きな革袋をかけている(4668)。中にはきっとブドウ酒が(4669)詰まっているのだろう。ロバ(4671)は、大きな水の入った革袋(4672)や鍋・水筒を背負っている(4674)。静かになった広場を前にココアを飲みながら(4688)眺める「ラ・マンチャの男と女」(4690)格別な味がした(4692)。

 車を置いた広場に戻ると何とペタンカを! ルールは世界共通、早速仲間入り(4706)。日西友好ペタンカ競技だ。さる村のキホーテの末裔たちとの思いもよらぬ1フレームゲーム、楽しいひと時だった(4708)。

◆2012.05.08 ラ・ソラナ[⑮]

 ラ・ソラナ村までの一本道で30km 空一面澄み渡った好天の下、刈り入れ前の小麦畑(4722)とブドウ畑(4726)、そして赤土丸出しのオリーブ畑(4733)が点在する。「美しい谷間の峠」という名のダム湖(4736)を過ぎると「ラ・ソラナ村」だ。左折後、ポンチェ村のガソリンスタンド手前で200頭を超える羊の大群に道を塞がれた。赤土の台地・乾いた大地・不毛の大地とのイメージが強いラ・マンチャ地方(4739)だが、放牧だけは盛んで、ラ・ソラナ村一帯はQueso Manchego(ラ・マンチャチーズ)の名産地だ。羊が多いのも当然だ。

◆2012.05.08 アルガマシーヤ・デ・アルバ[⑯]

 アルガマシーヤ・デ・アルバ村は(4743)、ドン・キホーテの生まれ故郷だけあって、この村でドン・キホーテ関連の像に最も多く巡り合えた(4746)。スペイン広場(4747)には、ドン・キホーテ、サンチョ、ドゥルシネア3人の石像が建っている(4748)。
 暇を見つけては騎士道の本を読み漁った郷士ドン・キホーテは(4756)、右手に騎士道の本を持ち、親指と人差し指を立てた左手を高く上にあげ、天に向かって何かを叫んでいる(4763)。
 背は低いが忍耐強く裏表の全くない従者サンチョ・パンサは(4750)、右手に特産の大きなチーズの塊りを、左手にワイン袋を持っている(4752)。
 胸を張り凛々しい表情のドン・キホーテの想い姫エル・トボソの女王ドゥルシネア(4770)は前掛けをし右手に大きな水がめを持っている(4772)。
 隣の広場にも見慣れたキホーテの鉄像があり、左右の手に長槍と刀を持っている(4780)。同じ広場の奥に、発刊400年を記念して建てられたセルバンテスの石像(4784)。首に月桂樹の輪を掛け、下向き加減に、椅子に腰を掛けている(4787)。この村を出る直前にも再遇した羊の群れ(4789)。

 セルバンテスが投獄されていた牢獄がありました(4795)。地下牢獄への下り口に(4801)置かれたセルバンテス像(4797)と小説の書き出しプレート(4800)を読みながら下りると、地下一階には一枚のゴザを敷いただけの石造りのベッド、壁に槍・刀・帽子の三つ揃いに質素な木机・壊れかけた椅子と小さな壺(4804)、奥には十字架もマリア像もない祈りの場所がある(4810)。
 息が詰まりそうな地下二階には(4812)大きな壺が3つある(4814)(4824)。セルバンテスは、本を通じて汚れた世の中を正すため、社会正義を追求する余り時の政治偽政者に、疎まれ捕まり、ここに投獄・幽閉された。いつの時代でも改革は血と涙を見なくては成就し難いものだ。

◆2012.05.08 アルマグロ[⑰]

 昔来たことがあるダイミエールで高速道路を下り州道で南下(4849)、かってはラ・マンチャの首都でもあったアルマグロへ、海抜646mでMeseta大地の街である。 

 「スペイン一美しい田舎の広場」は、アルマグロ市のマヨール広場である(4859)。南北二辺に長く連なる白い壁に緑の窓枠(4861)と、赤い瓦のコントラストが美しい。2・3階の白い帯状の壁が細長いだけに特に引き立っている。

 1階は広場に向かって開かれたアーケードになっており、特に南側は特産品のレースなどの小物「何でも屋」(4866)ハム屋(4888)陶器など(4876)を並べた土産物屋などいろいろなお店が建ち並んでいる(4896)。我が奥様は木綿のレースを買い(4870)、日本ではなかなか見つからないと大はしゃぎ!(4871)。編んだカゴ(4865)、陶器のタイル絵(4878)。古めかしいランプ(4881)に、ドン・キホーテグッズなど(4874)、スペインに住んでいるなら買いたいものが山ほどある(4886)。

 チーズ・ハム屋で(4889)黒いベストに身を固めた店主自らの切り売り生ハムを買う(4891)このハム屋さんに先程の「何でも屋」さんが”忘れ物です”と財布を届けてくれた。家内がお金を払ったのはいいのだが、財布までカウンターに置いたままだったのだ。親切なスペインのおばさんに感謝。

 「野天劇場」は17世紀建設の現役欧州最古を誇るだけに全てにおいて完璧な保存状態にある(4906)。規模は小さく正面に舞台周り、三方はコの字型で2階・3階の観客席まで、白壁に小豆色木材で統一されているなど、手入れが行き届いている(4918)。観客席は日本でいう3階天井婦人席、2階一等桟敷席(4916)、1階大衆席・平土間席などに分類されている。野天である証拠は天井がなく、テント張りになっていること。軒に吊り下げられたランプが(4922)当時の様子を良く伝えている(4924)。また入り口入ったところに井戸があったが(4909)、何のためにあるのか聞きそびれた。

◆2012.05.09 デスペーニャペロス[⑱]

 アンダルシア州との所謂国境地帯、急峻な「犬も転げ落ちる」断崖絶壁の高速道路(4963)を、所によって50㎞まで落としながら喘ぎつつゆっくりと安全に登り切った(4965)。

◆参考図書
 セルバンテス.ドン・キホーテ、北村謙次郎訳、偕成社,1979.

=ラ・マンチャは終わりましたが 旅はまだまだ続きます =

  長い間お疲れさまでした。 この先の旅もお楽しみください。
ありがとうございました。 また、お会いしましょう。 

<写真提供:花木/取材:中村、祖川/HP作成:祖川>

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