はなき たかみち
“ ラ・マンチャとドン・キホーテに魅せられて”
枚方市東香里 在住
取材日:2024年10月17日
はじめに
今回紹介させていただくのは、枚方市東香里にお住いの花木 孝道さん(3班)です。
今回は、夢中人紹介で第一部作 “ 夫婦2人だけのスペイン1ヵ月クルマ旅!” に続いて、第二部作としてスペインの中で花木さんが一番お気に入りの “ ラ・マンチャとドン・キホーテに魅せられて ” を夢中人紹介Ⅱとして掲載します。
取材をさせていただき、花木さんは7年半に及ぶ駐在経験に加えて、スペイン一筋に「夫婦2人だけの1ヵ月クルマ旅」を5回(通算5ヵ月間)に亘って楽しまれたことだけでも、「夢中人」であると考えました。しかし、最初の取材会話の中でしばしば「ラ・マンチャ」の言葉が飛び交い、お宅の中には玄関から部屋の中まで、さらに2階への階段など目につくのは「ドン・キホーテとサンチョ・パンサ」関連グッズばかり。
夢中人第二部作のタイトルが決まりました!
駐在期間中のラ・マンチャへの旅行は子供連れでの78年春休みと、単身赴任中の79年クリスマス休暇を利用した各5日間の2回、今回第二部作として掲載するスペインの中で花木さんが一番お気に入りの ”ラ・マンチャとドン・キホーテに魅せられて”の旅は通算3度目になります。
この中では、「ドン・キホーテ」が物語の中で冒険の旅に出たラ・マンチャ地方を花木さんの第2回夫婦1ヵ月スペイン車旅(2012.04.17~05.19)の旅行記と写真にて辿ります。
La Mancha とDon Quijote
第2回 夫婦1ヵ月スペイン車旅(2012.04.17~05.19)にて
◆ 第2回夫婦1ヵ月スペイン車旅(2012.04.17~05.19)に出てくるラ・マンチャ地方(茶色部分)の地名と番号
地図番号 | 地名 | 地図番号 | 地名 |
---|---|---|---|
① | トレド | ⑩ | ベルモンテ |
② | コンスエグラ直前SA「エル・オリバール」 | ⑪ | クエンカ |
③ | コンスエグラ | ⑫ | ビジャロブレド |
④ | プエルト・ラピセ | ⑬ | ルイデラ自然国立公園 |
⑤ | エレンシア | ⑭ | ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス |
⑥ | カンポ・デ・クリプターナ | ⑮ | ラ・ソラナ |
⑦ | エル・トボソ | ⑯ | アルガマシーヤ・デ・アルバ |
⑧ | アルカサール・デ・サン・フアン | ⑰ | アルマグロ |
⑨ | モタ・デル・クエルボ | ⑱ | デスペーニャペロス |
◆「ドン・キホーテ」物語について
作家セルバンテスの、騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなった「ドン・キホーテ」が、自らを遍歴の騎士と任じ、「ドン・キホーテ デ ラ・マンチャ」と名乗って冒険の旅に出かける物語。1605年秋に出版。
ラ・マンチャ地方はイベリア半島のほぼ中央に位置する首都マドリッドの南にあるトレド県とシウダ・レアル県及び夫々の東にあるクエンカ県並びにアルバセテ県の4県からなる。
<主な登場人物>
ドン・キホーテ デ ラ・マンチャ:
本名をアロンソ・キハーノというラ・マンチャのある村に住む50歳ほどの郷士だが、騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなってしまい、遍歴の騎士になり切って、痩せ馬のロシナンテと共に世の中の不正をただす旅に出る。
自分を取り巻く全てを騎士道物語的な設定に置き換えて認識し、次々とトラブルを巻き起こすが、それ以外の点ではいたって理性的で思慮深い人物。
三度の旅の後、病に倒れると共に正気を取り戻すが、間もなく死亡する。
サンチョ・パンサ:
「パンサ」は「太鼓腹」の意。ドン・キホーテの近所に住んでいる農夫。「将来、島を手に入れた暁には統治を任せる」というドン・キホーテの約束に魅かれ、彼の従士として旅に同行する。奇行を繰り返すドン・キホーテに何度も現実的な忠告をするが、大抵は聞き入れられず、主人と共にひどい災難に見舞われる。
無学ではあるが、様々な諺をひいたり機知に富んだ言い回しをする。移動にはロバを使用している。
ドゥルシネア・デル・トボソ:
近くの村のアルドンサ・ロレンソという百姓娘を元にドン・キホーテが作り上げた空想上の貴婦人。ドゥルシネアの美しさ・気だての良さ・その他の美点を世界中の人々に認めさせるのがドン・キホーテの遍歴の目的の一つである。
◆2010.06.12 (マドリッド スペイン広場)⇦ 第1回の旅より
スペイン広場では作家セルバンテスがドン・キホーテとサンチョ・パンサを見下ろしている(画像NO.1450)。
ドン・キホーテは痩せた老いぼれ馬ロシナンテにまたがり、目は前方を睨み、右手を上げ左手に長槍を持って、腰に立派な柄のあるサーベルをぶら下げている。老馬は下向き加減にしんどそうにトボトボと歩いている。大きな腹を突き出したサンチョ・パンサは小さなロバにまたがり、無粋にも大きな袋を肩にかけ、腰に刀、右手に手綱を握っている(1462)。
私はこの夢を追う「正義の味方」郷士物語が大好きだ!
◆2012.04.23(セビリア近郊、南南西12kmコリア・デル・リオ)[地図の番号⑳]
グアダルキビール河を見つめて立つ支倉常長と数奇な運命を辿った慶長遣欧使節団の末裔「Sr.Japon
(日本さん)」。村では「日本」姓が一番多い(0718)。
仙台藩主伊達政宗の命で宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として慶長遣欧使節団を派遣。
1613年10月28日石巻港を出帆した使節団は、メキシコを経てサンルカール・デ・バラメダに到着し、
1614年10月12日コリア・デル・リオに入港した。出発当初の使節団員は180名だったが、1612年3月のキリスト教禁止令および1613年12月の鎖国政策などの影響を受け、コリア・デル・リオに入港した日本人は30名だった。市民の温かい歓迎を受けた。同年10月21日州都セビリアへ到着。
常長は政宗のスペイン国王フェリペ3世へ宛てた公式な書状を持参。マドリッドでの滞在を経て、フランスを通過し、1615年11月3日にローマ教皇パウルス5世との謁見のためローマへ向かう。
1年後に滞在場所コリア・デル・リオへ戻り、1617年7月4日に日本への帰途についた(0727)。
◆2012.04.30 グアダルーペ[地図の番号⓪]
中南米はじめ世界に広がる全スペインキリスト教の総本山(2802)バラ窓が美しい「グアダルーペ修道院」は(2805)、ラ・マンチャ地方トレド県と目と鼻の先(2807)エストレマドゥラ州のカセレス県の東端にある。
最初の海外赴任地メキシコ・シティーのグアダルーペ大聖堂で(2813)お祈りを捧げたことを思い出した(2816)。27歳だったが、入門から祭壇まで靴を脱ぎ、ひざを地面にすり合わせての前進が忘れられなかった。今はその難行苦行は求められていない(2839)。
ここから ラ・マンチャ地方の旅が始まります
◆2012.05.02 トレド[地図の番号①]
ナバルモラール峠を越えるとラ・マンチャだ!(2851)トレドへ今日も安全運転(2865)。
スペイン・カトリックの総本山ゴシック様式のトレド大聖堂は(2894)167年かけて1493年にやっと完工した。正面中央の「免罪の扉」が素晴らしい(2900)。
中に入り、特に初めて訪れた時(2912)目を丸くしたのが、この聖体顕示台(2916)。新大陸から持ち帰った200kgもの、金銀財宝で細工されたもの、高さ3mのどこにキリスト像が(2920)あるのかさえ分からなかった。
さらにカトリック両王を祀る(3021)「新王の礼拝堂」では、両王結婚・スペイン統一時に(3023)うたった有名な文言を刺繍した(3024)大きな緞帳が正面に掲げられている(3025)。憲法第一条にあたる「全てに両国は平等」である。(TANTO MONTA)
ソコドベール広場のアラブ門で、セルバンテスと腕を組んでご機嫌(3061)。
◆2012.05.03 コンスエグラ直前のSA「エル・オリバール」[地図の番号②]
トレドから国道を南下、「ハ~ルバル来たぜ ラ・マンチャへ」と鼻歌が飛び出した。
ラ・マンチャへ入った最初のSA「エル・オリバール」で、居合わせた土地の客が「ここの主人が作ったオリーブオイルは最高だよ」。
近寄ってきた店主が、「飲んでみるかい?」「コレステロールが増えるから」「気にするなよ」「この腹を見ると心配するぜ」と店主のお腹をつついて断った。直ぐに厨房から持ってきたオリーブオイルとパン2片を仕方なく食べてみると「美味い!」「これぞ本場の味だ!」「まろやかで甘味があり、香りも良い」 日焼けしたモラ村のアミーゴも最高だ! 肩を組み合い別れを惜しんだ。(3357 3359 3368)
◆2012.05.03 コンスエグラ[地図の番号③]
古城と風車(3374)が見えてきた。ラ・マンチャの象徴「白い風車(3376)」の登場だ。心ワク
ワク、歌いたくなるのをグっと抑える(3377)。スペイン広場のワインの木樽が並ぶバル(3386)で
昼食だ。店内には(3389)バイオリンなどの楽器、乗り物のミニチュア、コインや紙幣、有名人の来店写真(3393)などが所狭しと飾られ、雰囲気を盛り上げていた。
風車は、16世紀にはラ・マンチャ地方で450基以上あった(3406)が、今では45基が残るだけ(3407)。そのうちコンスエグラには12基あり、一つ一つに名前がついている(3411)。
風車は(3412)16世紀科学の最先端を行くもので、固定しているものは、丸く白い小屋だけ(3415)。とんがり帽子の屋根から出て、地面に止められているこの棒は何だ?(3419)。
風は季節や時間により、吹いてくる方向がまちまち。羽を強く回すには、羽の向きを風に合わせて、変えなければならない(3425)。そこで屋根の部分を、羽ごと風向きに合わせて、人が棒を押しながら、360度回している(3428)。最後は棒を小屋の周りの石や木に止めて、固定している(3505)。
「カタカタコットン、カタコットン」。
風車小屋の中に入ると、心地良い音が聞こえてきそうだ(3536)。
この中に(3541)小麦を入れると石臼(3543)が回り、小麦が挽ける(3546)。
オリーブも絞れ(3547)、ブドウ酒を造るよ。この太い棒で(3552)、屋根ごと回して(3553)、羽の向きを(3554)、調整しながら(3555)。
ラ・マンチャの旅は、まだまだ続きます(次回以降で紹介していきます)
◆2012.05.04 プエルト・ラピセ[地図の番号④]
◆2012.05.04 エレンシア[⑤]
◆2012.05.04 カンポ・デ・クリプターナ[⑥]
◆2012.05.04 エル・トボソ[⑦]
◆2012.05.04 アルカサール・デ・サン・フアン[⑧]
◆2012.05.05 モタ・デル・クエルボ[⑨]
◆2012.05.05 ベルモンテ[⑩]
◆2012.05.05 クエンカ[⑪]
◆2012.05.07 ビジャロブレド[⑫]
◆2012.05.07 ルイデラ自然国立公園[⑬]
◆2012.05.08 ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス[⑭]
◆2012.05.08 ラ・ソラナ[⑮]
◆2012.05.08 アルガマシーヤ・デ・アルバ[⑯]
◆2012.05.08 アルマグロ[⑰]
◆2012.05.09 デスペーニャペロス[⑱]
<写真提供:花木/取材:中村、祖川/HP作成:中村>
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