念仏踊り発祥の地・枚方市茄子作
枚方市の茄子作地区が「念仏踊り発祥の地」であるという珍しい情報を知り、その成り立ちを調べてみました。
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時代は清和天皇の頃(859年)、奈良大安寺の行教(ぎょうきょう)上人が国家安全の祈願参籠(きがんさんろう:長期間籠もって祈ること)満願の夜、袈裟の上に三人の仏様が現れ、「京都の男山こそ我々が鎮座すべき所である。」とのお告げを受けました。この報告を聞いた天皇は大層喜び、自ら三仏の尊像を描かれて男山にお堂を建立し、石清水八幡のご神体にされました。
時は流れ、450年余り経った元亨(げんこう)元年(1321年)石清水八幡宮の宮司の夢に一人の翁が現れ、「近く大阪の深江から法明と言う僧が私を迎えに来るので、本尊を与えなさい。」とのお告げがありました。宮司はこれを神のお告げと感じ、早速本尊を持ち、数人を伴って深江へと出発しました。
時を同じくして、深江の法明上人(*1融通念仏宗の中興)にも夢枕に一人の老人が現れ、「私は石清水の八幡菩薩である。あなたは私を迎えて民衆を極楽に導けよ。」とのお告げがありました。上人も直ちに十二人の弟子をお供に石清水八幡宮へと出発しました。
枚方市茄子作地区にさしかかった所で、両者がばったり出会いました。そこでお互いが見た夢を語り合い、その有り難さを喜んで、大切に持ってきた本尊を傍の松の木に掛けて、皆で一緒に鐘を叩き、念仏を唱えながら松の木の周りを夜の更けゆくまで踊り明かしました。
その後一行は近くの犬井甚兵衛宅に宿を頼み、お互いの有り難い経験を喜び讃え、本尊の授受を終えました。この本尊は、天得如来または天筆如来と呼ばれ、融通念仏宗のご本尊とされています。
この時の犬井甚兵衛宅の屋敷跡は、本尊塚と呼ばれ茄子作北町の一角に祈念碑が現存しています。
また本尊を掛けた松の木跡は、茄子作南町に玉垣を設けて中央に地蔵尊をまつり、本尊掛け松の由来が石標に刻まれ保存されております。
尚、融通念仏踊りの発祥地については奈良の興福寺が有名ですが、枚方市茄子作りの本尊掛け松などの民話や伝承などで語り継がれているように、この地域が発祥地ともされています。
枚方市にはこの頃創建されたという寺伝のある、融通念仏宗総本山大念仏寺(大阪市平野区)の末寺があります。小倉地区の長安寺と甲斐田地区の長泉寺など、鎌倉末期に枚方地区にも広く布線を広げてきたことが想像できます。(枚方市史Ⅱ P447)
以上
:本文とイラストは枚方市伝承文化保存懇話会記録冊子「枚方昔ばなし:本尊塚と本尊掛松(念仏踊りの発祥地)」 より抜粋させていただきました。
:*1 融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)とは、平安末期に大阪市の大念佛寺を総本山とする宗派で、天台宗 の影響を受けています。念仏を善行の根源と捉え、口に出して唱えることで仏の功徳を得られるという教えがあります。
:*2 枚方市史(Ⅱ P446より引用)
:すべての掲載写真は、2024年11月に筆者が撮影した物です。
2024年11月 HP作成:7班 坂本 徳行
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