東日本大震災で甚大な被害があった
宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区を訪問
18班 庄子 次雄
私の実家は宮城県仙台市若林区の海岸から約4km地点にあり、年1回程度は帰省しています。今年も8月上旬に帰省した機会に、13年前の2011年3月11日に発生した東日本大震災の大津波によって甚大な被害があった宮城県名取市閖上地区を8月10日に訪問しました(閖上は仙台空港から車で約10分)。
今回、閖上地区を訪問した結果について、報告します。
<被害状況>
閖上地区には、大震災前までは2,000世帯以上約5,700人が住んでいましたが、大震災により住民の1割以上にも及ぶ約750人が犠牲になった地域で、私の知人のご子息も亡くなっています。
海岸近くに密集していた住宅は大津波でほとんど流され、現在は集団移転して広範囲にわたって公園が整備されています。
海岸近くには大津波でも流されずに生き残った松の木が奇跡的にまばらに残っているのが印象的であり、それが津波の凄さと怖さを思い知らされました。
<復興事業>
閖上地区では大震災を風化させない取り組みとして、復興のシンボルとして震災メモリアル公園、慰霊塔、震災復興伝承館、さらに語り部の方もおられます。また災害公営住宅や商業施設(かわまちてらす閖上)が建てられています。
毎年3月に現地で実施されている「3.11なとり・閖上追悼イベント」で飾る「絵灯籠の絵」には、パナソニック労働組合連合会を通じて枚方北支部も社会貢献活動の一環として協力しています。詳細は次を参照ください。
*なとり復興プロジェクト 3.11なとり・閖上追悼イベント
https://www.yuriage.jp/#event_20240311
*松愛会枚方北支部 東日本大震災復興支援「追悼 絵灯篭の絵」へのご協力報告
https://www.shoai.ne.jp/hirakata-n/2024/02/fs20240203/
<現地を訪問して感じたこと>
大震災後の閖上地区訪問は今回で2回目ですが、改めて地震と津波の怖さを知り、思わず亡くなった方々の冥福を祈らざるをえませんでした。東日本大震災から13年が経過しましたが、風化させない取り組みとして「忘れない、そして伝える」ことの大切さを痛感させられました。
なお、閖上からの帰り道に、私が幼少の頃に遊んだ仙台市若林区荒浜地区にも寄ってきました。この荒浜も閖上と同様、大津波によって甚大な被害があったところで、たくさんの方々が亡くなっています。荒浜にも犠牲者の慰霊碑があり、また荒浜小学校が「震災遺構」として保存されており、たくさんの方々が家族で見学に来ていました。
※写真の説明(2024年8月10日撮影)*写真はクリックで拡大できます
<宮城県名取市閖上地区写真>
①閖上慰霊塔:毎年3・11にはこの周辺にたくさんの「絵灯籠の絵」が置かれている(塔は津波の高さと同じ8.4m)
②閖上犠牲者御芳名(墓碑)
③大津波から奇跡的に生き残った松の木。すぐ近くには商業施設があり、朝市も開催
➄名取市震災復興伝承館(当時の映像記録・写真等を展示)
⑥災害公営住宅
⑦すぐ近くの名取川の堤防沿いに、商業施設「かわまちてらす閖上」が最近オープン
<宮城県仙台市荒浜地区写真>
④仙台・荒浜犠牲者慰霊碑
⑧仙台・荒浜小学校は2階まで津波がきて、屋上からたくさんの方がヘリコプターで救助された。現在は震災遺構として保存
以上
2024年8月14日 記事・写真:庄子 次雄
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