生涯学習センター・御殿山のみ美術センター・・?

生涯学習センター・御殿山のみ美術センター・・?

御殿山生涯美術美術センター全景

 枚方市の各地に「○○生涯学習センター」がありますが、御殿山のみ「御殿山生涯学習美術センター」となっています。ご存知の方もおられると思いますが、今一度その背景・経緯などを調べてみました。

 結論は、もともとここは大阪美術学校の跡地で、1944年に陸軍に接収された後、陸軍病院などに変わり、閉校になりました。その後市民から「無秩序な開発をせず、緑を守りながら、文化教養施設を作ってほしい」との声が上がり、市議会の可決をもって1987年5月に図書館と公民館施設、そして市民の美術創作の為のアトリエを備えた複合施設として「御殿山生涯学習美術センター」が開館されました。 

美術学校を創立した矢野橋村氏*1

 大阪美術学校は、矢野橋村によって当時大阪に美術を学ぶ学校が無かったことから、天王寺に創設された学校でしたが、手狭になった為、開校から5年目に北河内郡牧野村渚御殿山に移転しました。その時の条件が、京阪電鉄から学校用地の無償貸与と、御殿山駅の新設だったそうです。
 1890年9月8日に開校され、木造白堊(はくあ)の瀟洒(しょうしゃ)な建築である新校舎が話題になりました。その時大阪久宝寺の扇子商・岩澤金治氏が12万円を寄贈されたとされ、現在もそれを称える頌徳碑が建っています。(詳細は枚方市史4巻P776~778)

当時の学校の環境・雰囲気は下記校歌の歌詞に伺えます。

新聞に連載された「宮本武蔵」の挿絵

矢野橋村:(1890~1965)は17歳で画家を志し、郷里の愛媛県今治市より上阪、陸軍の工場での勤務中左手首を切断するも、南画家・永松春洋に師事しました。南画の伝統を踏まえながら、日本画や西洋画の写生の手法を取り入れ、近代南画界に新風を吹き込みました。活動は多方面にわたっており、昭和11年頃朝日新聞に連載された「宮本武蔵:吉川英治作」の挿絵も描いています。
(左の絵は、枚方中央図書館のご協力を頂き、昭和11年8月14日の朝日新聞の夕刊紙面であることが解りました。)

 *イラストはACイラスト(会員)より引用しました。
 *1,*2,*3 の写真は「目で見る・枚方・交野の100年」・・株式会社 郷土出版社1995年発行」より引用

以上

2023年10月 HP作成:坂本 徳行 

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コメント

    • 養父規幸
    • 2023年 12月 06日

    他の生涯学習センターとの名前の違いに疑問を持つこともさることながら、その疑問を起点にここまで掘り下げたレポートを作成されるなんて、枚方北支部の一会員にしておくのにはもったいない。

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