東京2020オリンピック ボランティア体験談
3班 小島 佳代子 さん (2021年11月)
皆さん、こんにちは! 小島佳代子です。今年、念願のオリンピックボランティアに参加してきましたので、その体験談をご紹介します。TOKYO2020には、賛否両論様ざまな意見があった中、ボランティア体験談を寄稿することに、躊躇いもありましたが、貴重な体験が、月日の経過とともに風化することのないよう、自分自身の記録としてまとめる意味でペンを取りたいと思います。
🔷 ボランティア参加の動機
『お・も・て・な・し』のキャッチコピーで東京オリンピック誘致に成功した2013年。TVで大々的に放映され、再び東京にオリンピックがやって来ると知った時、『生きている間に、オリンピックを生で見てみたい!できることならボランティアとして参画して大会を盛り上げたい!』という思いがフツフツと湧き上がりました。又、娘のユニバーシアードの大会の応援で中国の深センに行った時に、中国語が全く分からず目的地まで行き着くのに、学生ボランティアに大変お世話になったことを思い出し、『今度は、自分が日本に訪れる外国人をサポートしたい』と言う思いから『私、オリンピックのボランティアやるから』と周囲の人に宣言したのが始まりです。
🔷ボランティア エントリーから役割決定まで
そうは言うものの、ボランティアにどうすれば参加できるのかも分からない状況の中、ネットで情報をwatchしていたところ、パナソニック社内で500人のボランティア募集があり、速攻で応募することで、まずはボランティア参加の権利を獲得。その後公式オリンピックのボランティアへのエントリーという流れでした。通常であれば、エントリー段階で採用されなかった人も大勢おられたと聞く中、公式スポンサーのおかげで、ボランティアにエントリー出来たことは、大変ラッキーなことだったと思います。パナソニックに勤めていて本当によかったと改めて思いました。
エントリーが終わると、その後、オリエンテーション、集合研修、面接(人物確認)、ユニホームサイズ決定など着々とこなし、ついに2019年3月役割が決定。私が担当することになった役割は、有明テニスの森のメデイア担当、ミックスゾーンチームに決まりました。メデイア担当?ミックスゾーンって?と役割そのものが何をするのやら?と思いつつ、メディアということは、きっと間近で選手が見られるとても美味しい役割ではないかと内心期待しておりました。
🔷 コロナで延期、モチベーションもトーンダウン
ところが、2020年のコロナの蔓延により、大会が1年延期となり、本来であれば3月から行われる役割研修もスタートしないまま1年間延期、2021年に入ってもコロナ収束の見込みも見えない中、毎日続けていたスピードラーニングをヒアリングすることも途絶えがちになりボランティアへの思いもどんどん下がっていきました。ようやく2021年の6月になり、ユニフォームとアクディレーションカードの配布があり、ようやく開催の動きが出始めましたが、内心半信半疑で、『エントリーした思い出にユニフォームだけでも貰えばいいか』と思い始める私がいました。
🔷 英語必須のミックスゾーンチームでの役割
オリンピックは、もはや中止になるのでは?と思っていたら7月に入り、私が担当する有明テニスの森でミックスゾーンチームの役割研修が行われました。テニスプレイヤーには、試合終了後、ミックスゾーン(メデイアが取材をするために待ち受けている場所)を通過してメデイアからの取材に応じる義務があり、ミックスゾーンチームの仕事は、この取材を円滑に進めるために、事前に取材したい選手の希望と取材の言語をメデイアから聞き、人数に応じて場所を割り振り、選手を誘導して取材が円滑に進むよう、レコーダーやマイクをセットすることでした。
予想通り美味しい役割だなと思いきや、役割研修会場の受付で待っていたのは、なんと国際テニス連盟のメデイアマネージャーの女性で、いきなり『Hello!』と挨拶され、研修も全て英語でまずびっくり。さらにミックスゾーンチームのリーダーも国際テニス連盟から派遣されたDeagoとlucyで2度びっくり。その上、同じチームに集まったメンバー全員が、日常的に仕事などで英語を使っていて会話は問題ないメンバーばかり。『えー、英語必須?なんでこんなところの担当?やってけるかな?』と超不安に。
🔷 2021年7月23日から8月2日まで有明テニスの森で活動
そして、7月23日からいよいよドキドキの活動がスタート。初日は9:00に集まりインタビュー会場の設営で終了。翌日から1回戦がスタート。12面のコートで一斉に11時から試合が開始し、100人近い選手が、ミックスゾーンにやってきます。リーダーが選手の名前とインタビュー場所を英語で指示してくれるのですが、選手の名前の読み方がわからない、選手の名前と顔が一致しないという状況で大混乱に。
これは、英語が話せることが重要ではなく、確実に選手を、インタビュー場所に誘導することが重要だと判断。選手が10m手前に来たところで、選手の名前とインタビュー場所をリーダーに確認し、それをメンバーに伝達する役目を買って出ました。必要な英語は、『Her name? His name?』 『Box Number?』の必要最小限で十分。又、ミックスゾーンを通過せず帰ろうとしていたMEDVEDEV(メドベージェフ)を『Sorry! Please Come here!』と大声で叫んで、呼び戻して『Good Job!』とリーダーに褒められました。会社で、展示会の事務局などをやっていた経験が大いに活かされて、いつの間にかしっかり仕切っていました。
🔷最高にエキサイティングな体験とコロナ禍ならではの役得!
さて、ボランティアとは、誰もが、自分でできることを自分の意志で周囲と協力しながら無償で行う活動のことです。研修や、ユニフォームを受け取るための交通費、又東京で活動する際の宿泊費など全て自腹で負担する必要があります。大阪から12連泊となると結構な負担でしたが、自腹以上の体験となりました。
まず第1に、役割上、超有名な選手を目の当たりで見ることができるだけでなく、インタビューで話す内容についても生で聞くことができます。全ての内容が完全に理解できたわけではないですが、大阪なおみ選手が、インタビューをボイコットしたことが問題視されたことがありましたが、好意的なインタビューばかりであればいいですが、負けた選手に追い打ちをかけるような質問(例今日は、サーブでダブルフォールトが多かったですが、何故ですか?)とか同じ質問を繰り替えし、選手を怒らせたり等テニスは、紳士淑女のスポーツであるはずなのに配慮の欠けるようなインタビューも散見されました。大坂なおみが一石を投じたのには理解できる気がしました。
第2に、テレビの中でしか見たことのない超有名な選手と同じ空間で過ごせたことは本当にエキサイティングな体験でした。世界ランキング3位のステファノス・チチパスは、いつも母親と一緒に行動しており、マザコンか?と疑うくらいでしたが、インタビューの時に背が高過ぎで、目一杯手を伸ばしても、お盆にのせたボイスレコーダーが届かずどうしようかと思っていたらさり気なく、お盆を自分で支えてくれる優しい選手でした。また女子シングルスで優勝したベンチッチは、試合前センターコート横でアップしているなと思って眺めていると、コーチに足のムダ毛を剃ってもらっていて選手のプライベートな一面を垣間見て、一気に親近感を覚えました。
第3にコロナ禍で無観客だった為に、試合が進んでくると私たちボランティアも、手が空いた時間に、試合を見ることができたのは大変ラッキーでした。特にセミファイナル、ファイナルはセンターコートだけでの試合だったので、TVに写り込まない席で座って最初から最後まで試合を見ることができました。センターコートのファイナルのチケットはいくらぐらいするのか知りませんが、プラチナチケット並みの役得に預かり、貴重な体験をすることができました。
大阪以上に、コロナの感染者数が急増していた東京で、 12日間も滞在しボランティアすることは、非常にリスキーなことでしたが、無事何事もなく、元気にボランティア活動を終えることができたのは、大会関係者始め、留守を守ってくれた夫のおかげだと感謝しています。『次は、2025年の大阪万博でボランティに参加するんか?』との夫からの問いで、そんなことは思ってもいなかった私ですが、次なる目標ができました。
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以上
大変すばらしい体験をされましたね! 臨場感のある体験報告、楽しく読ませていただきました。