明智光秀・筒井順慶と洞ヶ峠
国道一号線を京都方面に進むと、京都府八幡市と枚方市との境で、東高野街道の山城と河内の国境といわれる場所に、標高70m程度の【洞ヶ峠】という場所があります。
今、NHK大河ドラマでは「明智光秀」が脚光を浴びていますが、枚方の最北部のこの地は、天正10年(1582年)本能寺の変の後、光秀が羽柴秀吉と戦った時、天王山を背にした「山崎の合戦」の地域全体が見通せる、絶好の場所で、重要な地でありました。
この戦いで、光秀に助勢を乞われた当時大和郡山城主であった「筒井順慶」が、この峠まで出陣し、どちらか勝ちそうな方に味方をすべく、静観していたとされる場所として有名です。
このことから「洞ヶ峠を決めこむ」という言葉が生まれ、現在でも日和見主義の代名詞として使われています。しかしこれは史実ではなく、当時布陣したのは光秀であり(Wikipedia 参照)、筒井順慶は郡山城から一歩も動かなかったとされております。
だが現地に行ってみると、「筒井順慶陣所跡」と刻まれた石碑が建っています。これは昭和2年に三宅安兵衛氏によって建てられたとされており、その後少し移動され、刻まれている道しるべが逆方向になっていますが、この頃までは「日和見主義の話」が残っていたのかも知れません。
また合戦の偵察として、順慶が少数の兵をこの地へ派遣していたとの説もあり、全く後世の作り話ではないのかも知れません。
NHK大河ドラマでこの地が登場するのかどうか、今後の展開が楽しみでもあります。
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HP作成:坂本
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