高槻城に高山右近ゆかりの地を訪ねて

 

しろあと公園に建つ高山右近像

 NHKで2014年に放映された大河ドラマ「軍師・官兵衛」が、昨年から再放送されていますが、その中で高槻城主であった高山右近が登場します。彼は戦国時代にあって、キリシタン大名としてあまりにも有名で、黒田官兵衛をもキリストの信者に導くなど、当時の世に影響力を発揮した人物です。

 右近は、荒木村重の臣として織田信長に抵抗していましたが,イエズス会宣教師のすすめで降伏し,信長の武将となりました。本能寺の変の後は秀吉に協力し,山崎の戦いでは活躍しましたが、天正 15年 (1587) のバテレン追放令発布のとき,その信仰を理由に追放さました。その間、高槻、京都、大坂などの教会を援助し。領内に神学校や、慈善事業をおこすなど、キリシタンの指導的人物として仰がれました。
そして、慶長 19年 (1614) 江戸幕府の禁教令に触れてマニラに流され,到着後ほどなく63歳で生涯を閉じました。生前には千利休にも師事し,「利休七哲」の一人として数えられています。

 一方、当時明智光秀の娘で「細川忠興の妻 玉・たま」も洗礼を受け「細川ガラシャ」なってから、優しく穏やかな性格になったと言われていますが、右近と接触があったのか、いろんな文献を調査してみましたが、発見することはできませんでした。

 高槻城は、明治維新で完全に破却されたようで、今は城の遺構と呼べるものはほとんどありませんが、高山右近時代にあった「天主教会堂の石碑」などがわずかながら残されています。また「しろあと歴史館」は、高槻城下のジオラマや展示物が見学できるスポットにもなっています。地下にはまだまだ興味深いものが眠っているようで、1996年には、高槻城跡の地下からは、高山右近の時代のものとされる「キリシタン墓地」が見つかり、木棺の中からは木製のロザリオも見つかっています.

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