元気で頑張る会員 岡本敬三さんのご紹介

「エベレスト街道」ヒマラヤトレッキングの思い出 岡本敬三

私がヒマラヤトレッキングに行ったのは、2016年10月でした。

きっかけは、その5年前に妻が突然脳腫瘍を発症し、入院、自宅療養を経て
1年半後に亡くなったことが伏線にあります。

突然のことで落ちこんでいた私を、学生時代の同じクラブの先輩が、
アマチュアカメラマンでもあったので、世界の絶景を巡る旅に誘ってくれました。

最初はフランスの美しい村、
続いてアイスランド、グリーンランド、ウユニ塩湖と行っているうちに、
ヒマラヤトレッキングの話が出てきましたが、
国内の千数百mの山歩きしか経験がなかったので即座に断りました。

死ぬまでに富士山に一度は登ってみたいという程度の願望はありましたが、
ヒマラヤなんてとんでもない。まして当時二人共60代後半ですから、
行き倒れになるかもしれないからと言って断り続けました。

しかしながら、何度も何度も熱心に誘われるので少し気の毒になり、
まあ冥途の土産に行ってみてもいいか、先輩も体力はあまりかわらないだろうから、
とついOKしてしまいました。

旅行が決定したといっても本格的なトレッキングをやっていたわけでもなく、
知識もなかったので準備が大変でした。
とりあえずスポーツ用品店で80L以上の大型リュックから、靴下帽子に至るまで、
言われるままに買い揃えました。

この旅行は、ネパール滞在が26日、
トレッキングはその内約17日という行程でしたが、ツアーへの参加ではなく、
個人旅行扱いだったので、現地旅行社との打合せが大変だったと思いますが、
ネパールの経験が豊富な先輩が全てやってくれたので、楽でした。

トレッキングは首都のカトマンズから小型飛行機(18人乗り)に乗り、
ルクラ(2,850m)迄行き、そこからカラ・パタールの丘(5,545m)までの
約60㎞を歩くものです。
但し、高地を歩くものなので、途中で2連泊・3連泊して体を慣らしながら歩きます。

(注:カラ・パタールの丘は、エベレスト登山のベースキャンプと同じくらいの標高にあります)

いよいよ出発となりカトマンズの空港を飛び立ったら、
窓の外はヒマラヤ山脈がくっきり見え、山好きにはたまらない景色でした。

出発点のルクラに着いて、ガイドとポーター3人と合流し出発です。

ネパールでの挨拶は「ナマステ」こんにちは、さよならの両方に使えるとのこと。
覚えたのはこの一言だけ。後年インドに行った時もそこはナマステでした。

食事はインドに近いせいもあり、カレー料理が多いが、
中華風料理もあり食べやすく不自由しませんでした。
食事は問題なかったのですが、問題は風呂とトイレ。
トレッキング中はほとんどシャワー無しだったと思います。
また、トイレが高地では大変でした。

最後のロッジ、ゴラクシェプは標高5,140mにあるため、部屋は夜マイナス3度でしたが、
着るものは上下各4枚着てシュラフに入り、布団を掛けて寝ている状態なので、
トイレとなると大変でした。風邪は引きませんでしたが…

夕日に映えるエベレストの撮影は、カメラマンの先輩とガイド、ポーター1人が行き、
私は翌朝ガイドと一緒にエべレストが見えるところ(約5,300m)まで
カメラだけ持って行きましたが、空気が薄く一歩ずつ数えながら歩き、
100歩歩いたら休むという状態でした。

下山はほぼ順調だったので、帰国便の日まで7日間ありました。

日程に余裕があったので、ネパール南部でゆったりと観光をしていたのですが、
この時風邪を引いてしまい、中耳炎を併発し、
帰国後補聴器のお世話になることになりました。

大変厳しいトレッキングでしたが、
素晴らしいヒマラヤの山々を心行くまで
堪能出来て、
忘れられないいい思い出となりました。

以下の写真は大変きれいな写真ばかりです。数回クリックして拡大してご覧ください。

 

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