城山 秋山城跡にて |
松愛会 山歩き会 |
城山(古城山) [秋山(松山)城跡] 標高470m
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10月16日、松愛会山登り会を実施した。今年の城山シリーズ第3段は、奈良県の大宇陀にある城山に登った。
榛原駅から奈良交通バスで大宇陀に向い、西山で下車した。大宇陀小学校グランド脇から歩き始める。グランドから正面にある山、城山に今日は登るのだ。しばらく道なりにガイド標識の沿って歩く。松山西口門に到着。門前の橋の袂に神戸村道路元標が建っている。当時の町村の境界はよく分からないが橋を渡った松山西門から松山町なのだったのだろうか。松山町道路元標は後程訪れるがここから南に400mの交差点にある。宇陀川を挟んで西側が神戸村で東側が松山町と推定される。地の人に聞けばよかったよかったと思うが少し残念だ。
松山(松山城)西口門は、旧松山城の大手筋の西口関門、建築は徳川時代初期のものだそうだ。大宇陀の町並みを見ながら春日神社に向かいお参りした。春日神社には井行末(いのゆくすえ)ゆかりの石造美術品、霊宝石などもあった。神社の右端から秋山城跡への登山口があった。
いよいよ城山へ登山開始、神社脇の登山口から登り始めた。しばらく行くと階段になり、少し急な坂道を登る。10分余り登ると右に尾根が続いていてピークが見うけられる。あのピークに三角点があるようだ。少し登山の厳しさ体験を兼ねて藪漕ぎをしてピークに登った。数分で到着、そこに監視所のような朽ちかけた小屋がありその奥に四等三角点があった。三角点の標高は440.9mと山頂より30mほど低い位置にある。
本道に戻り城山山頂へと足を進めた。10分足らずで石垣等の遺構が見られ始めた。城の建物はないがあれば登城している感じを受ける。登りきると広々した本丸跡に着き、奥に一段高くなったところが天守閣があった跡だという。標高は470mで360度の大パノラマだ。西門の標高が350mほどなので標高差120mほどあり、城下町から見た城は壮観だったように感じられる。
中世大和国宇陀に「宇陀三将」とよばれた秋山氏、芳野氏、沢氏で、その中の秋山氏の居城で天正13年豊臣秀長に追放されるまで続いた。その後豊臣系の大名が城主になった。元和元年に松山城となり織田信長の次男、小田信雄が城主になった。以来、四代80年間織田松山藩三万石の城下町として栄えたという。
下山後大宇陀の町並みを見ながら歩いた。西門から南に400mほどの交差点に松山町道路元標が建っていた。史跡森野旧薬園の立ち寄り葛のお土産を見たり買ったりした。3月末から4月始めにかけて薬園にカタクリが咲き乱れるそうだ。少し歩いて丘の上にある大宇陀温泉あきのの湯へ行った。あきのの湯で汗を流しゆったりした気分になった。
今日の山登りは20分ほどで、登り甲斐がない人もいたと思うが、年を重ねるとこんな感じの山登りも年に数回はいいのではなかろうか。 |
城山 大宇陀小グランドより |
神戸村道路元標のある松山西口門前 |
神戸村道路元標 |
松山西口門 |
大宇陀の町並み |
春日神社 |
春日神社脇の秋山城跡登山口 |
登山道を登る |
城山 四等三角点 |
秋山城跡本丸への石段 |
秋山城跡本丸への石段を登る |
秋山城跡本丸に到着 |
秋山城跡本丸と後方の天守跡 |
秋山城跡本丸天守跡 |
秋山城跡本丸の方位盤 |
秋山城跡本丸天守跡で昼食 |
鳥見山 貝ヶ平山 額井山 戒場山 伊那佐山
城山山頂より |
伊那佐山 城山山頂より |
烏ノ塒屋山 城山山頂より |
竜門岳 城山山頂より |
秋山城跡本丸にて |
松山町道路元標のある交差点 |
松山町道路元標 |
大宇陀の町並み |
森野旧薬園 |
大宇陀温泉 あきのの湯 |
城山 大宇陀温泉より |
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コース 近鉄・鶴橋(8:17)=[快速急行]=榛原(9:06/9:33)=[バス]=大宇陀・西山(9:48/9:50)〜
松山西口門(9:55/10:00)〜春日神社(10:10/10:20)〜城山三角点(10:38/10:50)〜
城山(10:58/昼食/12:05)〜森野旧薬園(12:43)〜
大宇陀温泉・あきのの湯(13:10/入浴/14:20)〜大宇陀(14:36/14:55)
=[バス]=榛原(15:14/15:26)=[急行]=鶴橋(16:12)
天 候 晴れ
参加者 13名
実施日 2008.10.16 |